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大竹しのぶがマスコミから「悪女」とバッシングを受け続けていた理由

タレント本というくくりではなく、ある1人の半生記、あるいはノンフィクションとして読んでみると、タレント本もなかなかおもしろい。

今回手にとったのは女優大竹しのぶの自伝『私一人』。過去にはマスコミから恋愛ガラミのバッシングを受けたことで、女性からの支持もあまりなかっという。

そんな時期もあっとは・・・そのきっかけとなったのが、世間では略奪愛と囁かれていたTBSのディレクターだった服部晴治(はっとりせいじ)氏との結婚でした。

さらには、明石さんまとの交際でもバッシングを受けていたようなんです。そこで、大竹しのぶの恋愛遍歴の真相を本人の自伝から探っていこうと思います。

服部晴治氏との出会い

大竹しのぶ 私一人
出典:私一人 大竹しのぶ

大竹しのぶが結婚を意識した恋愛は23歳のとき。お相手はTBSのディレクターであった服部晴治(40)。

当時、大竹が出演していたTBSドラマ「恋人たち」がきっかけで、二人は付き合うようになる。

しかし、当時服部は女優の中村晃子(なかむらあきこ)と交際しており、大竹も服部に好意を寄せていくなかでその事実を知る。まだ結婚してないとはいえ、三角関係の渦中にいた大竹。

「服部さん、中村さんとは結婚するんですか?」

ストレートに訊く自分に驚いた。彼は困ったような表情を浮かべている。

「うーん、わからないなぁ。だって・・・、彼女と結婚したら、しのぶちゃんとこんなふうに会えないでしょ」
出典:私一人 大竹しのぶ p103

次第にマスコミにも嗅ぎつけられ、連日週刊誌やテレビのワイドショーで報道されてしまう。

もともと中村晃子と交際していたこともあり、大竹はこのことがきっかけで「略奪愛」「魔性の女」との異名が付けられることになる。

大竹しのぶの恋愛がかなりドロドロしたものだったことに驚くが、何よりも自分の信念を投げないタフさがすごい。

そしてこのタフさはそれ以降も貫き通し、マスコミから度々バッシングを受けることになっていく。

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真っ暗

大竹しのぶは過去2回の結婚をしている。一人目はマスコミから叩かれるきっかけとなった服部晴治との結婚。そして、もう一人が明石家さんまだ。

自伝「私一人」では、服部との幸せながらも辛い結婚生活をつづっている。その理由は、40代という若で発症した夫・服部の胃がんにあった。

さらに、追い打ちをかけるように、担当の医師の口から余命一年の宣告を受けることになる。

「あと・・・・・、彼はどのくらい生きられるんですか」

私は、医師の白衣をつかんで問い詰めた。涙がさらに流れ落ちる。

だいたい一年くらいです

医師が重い口を開いた瞬間、全身の力が抜けていくのを自覚した。結婚して一年余りの私たちに、こんな現実が待ち受けていようとは。
出典:私一人 大竹しのぶ p121

夫のがんの宣告を受けてから一年が過ぎた頃、幸いにも服部の体調は小康状態を保っていた。

大竹にとっては、わずかながらの希望が感じられた頃でもあるという。もしかしたら晴治さんは癌に打ち勝ったんじゃないだろうかと。

そして、ちょうどこの頃から『男女7人夏物語』がきっかけとなり、明石家さんまとの接点が増えていく・・・。

二人の関係は不倫だったのか

大竹しのぶ 私一人
出典:私一人 大竹しのぶ

男女7人夏物語の放送は1986年。この時期、服部は病魔と闘いながらも、精力的に活動していた。

この頃まだ友人関係だったさんまと三人でテニスや食事をしたこともあったという。服部とさんまは面識があったのだ。

私はさんまさんに感謝していた。晴次さんにその気持ちを伝えると、三人で食事をしようということになった。初の顔合わせで、二人はすっかり意気投合したようだ。その後、一緒にテニスを楽しむ仲になった。
出典:私一人 大竹しのぶ p140

演技の幅を広げてくれたことでさんまに感謝していた大竹。ここで気になるのが、大竹とさんまがいつ付き合いだしたのかということです。

一部のマスコミでは「病気の夫をよそに不倫」といった報道もされていたことから、さんまとの馴れ初めを当時快く思わない視聴者も少なくなかったという。

しかし、実際のところはどうだったのか?その部分をもう少し掘り下げていきます。

大竹のアプローチ

「さんまさんって、すごく面白い人なの」

そう言うと、すかさず友人に戒められた。

「なんか、嬉しそうに話してない?しのぶ、人妻として、それはまずいよ。あなたには服部さんという大切なダンナ様がいるじゃない。そうでしょ?」

もちろん私は、さんまさんに対して特別な感情をもっていたわけじゃない。「男女7人夏物語」で共演し、その後、晴治さんを交えてテニスを楽しむ仲になっていた彼を、純粋に「気さくで面白い人」と思っていただけなのだ。

それが一年後には・・・・・。
出典:私一人 大竹しのぶ p186

本人の発言によるものなので客観性が乏しいのですが、男女7人夏物語ではまだ大竹の中には特別な感情はなかったようです。

さんまと急接近しはじめたのは、続編となる「男女7人秋物語」の制作が決まった1987年からでした。

この頃になると、夫の服部さんが再入院となり、普通の生活が送れない状態になっていました。こうした状況の中で大竹はドラマの出演を了承する。

一見すると不謹慎な行動にも思えますが、そこには夫の後押しが強く影響していたといいます。

さんまさんは晴治さんから一通の手紙を受け取っていた。「秋から僕がしのぶと遊んであげられない分、しのぶを楽しませてあげてください」という内容の。
出典:私一人 大竹しのぶ p180

こうした服部さんの強い要望もあり、一度は断った秋物語に出演することを決断する。

では、いつ頃から二人は付き合いだすようになったのか?

自伝を読むに、二人が本格的に交際しはじめたのは、服部さんが亡くなった後ではないかと思うんです。感情論はともかくとして、時系列で言えば不倫とは言えません。

秋物語がはじまったのが1987年、服部さんが亡くなったのも1987年と重なっていることから、夫を亡くした悲しみを、さんまへの想いに転嫁したいったのかもしれません。

その証拠にこんなエピソードもありました。

私はその頃、眠れない夜が続いていた。晴治さんが亡くなってからずっとだった。(中略)「秋物語」の収録が始まって間もなく、私はとうとうに電話した。
出典:私一人 大竹しのぶ p182

とはもちろんさんまのこと。心の拠りどころとして頼っていったのが分かります。これをきっかけにさんまに電話することが日課となり、二人は急接近していくことになる。

さんまはこのとき、大竹からの電話に必ず出ていたという。携帯電話もない当時、自宅の固定電話で大竹からの電話をずっと待っていたんだそうです。

大竹しのぶの恋愛遍歴

2人はその後も順調に交際を続け、周知のとおり明石家さんまと結婚する。しかしここでもマスコミからはバッシングを受ける。

夫を亡くしてから一周忌を過ぎたばかりという状況は印象が悪すぎました。さらには、服部との馴れ初めも蒸し返され、風当りは決してよくはなかったようです。

マスコミの報道がすべてねつ造とは言いませんが、大竹しのぶ自身が語る当時の真相を知ることで、違った見方が持てるのは確かだと思う。

私一人 大竹しのぶ
単行本: 311ページ
出版社: 幻冬舎
言語: 日本語
ISBN-10: 434401040X

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