手塚治虫がドフトエフスキーの名著に挑む!|罪と罰 手塚治虫

罪と罰

ドフトエフスキーの名作『罪と罰』というと、どうしても文学作品というお堅いイメージがありますし、ことロシア文学といったらやたら分厚くて、読めたもんじゃない。

ただ、文学なんていう固っくるしい枠を取り払って、謎解き感覚で読みすすめていくと、きっと面白く感じるんじゃないかなと思います。

手塚治虫が描く罪と罰はとてもコンパクトにまとまっていて、特に印象的だったのが、ラスコルニコフとスビドリガイロフの対比。ここの表現を漫画でどう表現しているのかを読むだけでも楽しめた。

二人を通して描かれる謎解き味わってみてください。そこで、ここでは、作品を読むにあたって、ヒントになるようなシーンをいくつか紹介してみようと思います。

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「天才について」という論文

あらゆる人は「ふつうの人」と「天才」に分けられるという。

ふつうの人とは「まぬけ」のことであり、一般市民のことである。

天才とは、ふつうの人を動かして政治や経済をまわし、時に戦争をはじめる人のことである。ゆえに天才はなにをしてもいいのだ。

天才はその類まれな力を持って、ふつうの人を導くことで、貧しさも貧困もない世の中へと変えていく。だから、ふつうの人は天才に必ず従わなければならないのだ。

しかし、ふつうの人はその愚かしさで天才がおこなう変化を理解できない。そのため、一時にせよ天才を「悪魔」などといって、よってたかった殺してしまこともがある。

罪と罰
出典:罪と罰 手塚治虫 p39

しかし、たとえそうであっても、次の世代のふつうの人たちによって、天才はあがめられることになるのである。

これがラスコルニコフが発表した「天才について」の論文である。天才には罪も、ましてや罰もないという。

スビドリガイロフという男

主人公がラスコルニコフであるならば、スビドリガイロフは影の主人公といったところ。

だたし、光と影などというはっきりとした対比ではなく、あいまいなグレーさを放っている表裏一体のような存在。

人民解放戦線の一員として世の中をたてなおそうと暴動を起こすスビドリガイロフ。制裁という名のもと、つぎはぎだらけの理由をひっさげてふつうの人たちを扇動する。

しかし、暴動を起こしたスビドリガイロフは果たして天才なのか?彼の言動にも注目しながら読むと、よりいっそう楽しめます。

罪と罰
出典:罪と罰 手塚治虫 p122

ラスコルニコフの罰

ラスコルニコフの論文に従えば、「天才」がおこなうことには罪も罰もないことになります。

罪と罰
出典:罪と罰 手塚治虫 p54

ではラスコルニコフ自身は自分のことをどう考えているのか?「天才」か、それとも「ふつうの人」か。彼があれほど葛藤しているのも、ここらへんにも原因がありそうだ。

文字だけの文学とは違い、絵がついたことで、また違った面白さがあるので、読んだことがある人にもおすすめです。

読み終わったあと、なんだかモヤモヤしたものが残るかもしれません。そんなときはもう一度読み返してみてください。きっと自分なりの答えが見つかるはずです。

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