漫画「アイアムアヒーロー」感想 最終回の意図を探る、ぼくはヒーローではない

2009年2月から週刊ビッグコミックスピリッツで連載がはじまった花沢健吾さんの「アイアムアヒーロー」。

足かけ8年目(連載期間)、そして今年単行本22巻で完結。青年コミックの中でも累計発行部数はトップクラスの数になってるんじゃないでしょうか。

ただ、ラストがなぜか不評なんですよね。

花沢作品はくそダメな青年や中年おっさんの等身大を描くのが真骨頂なわけで、それは自身の学生時代の体験やら女性観、29歳で漫画家デビューしたという経歴から考えても作品に十分すぎるほどエグく表現されてるじゃないですか。

それでもラストの評価が低いのは出版社のせいでしょう。20巻あたらりからの料金すえ置きのうっすい単行本出しやがったことを根に持っているからです、ですよね。

アイアムアヒーロー

なのでもういちど冷静にラストを考えてきましょうw

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花沢健吾という漫画家

生きずらい男性の等身大マンガとして「ルサンチマン」や「ボーイズ・オン・ザ・ラン」で男性を中心に支持を勝ち取っていったようです。

こうした作風は花沢さんの学生時代の黒歴史の影響もあるようで、それは作者インタビューでもたびたび発言しているところ。

わりとその、自分自身の十代はどん底、暗ーい人生だったんです。高校時代、共学だったんですが、卒業するまでに女子と喋った時間が合計3分くらい、そんな状況だったので
出典:コミダス

社会人になってからもアシとして二十代を過ごして、マンガ家としてデビューしたのが29歳のアラサーの頃。だから作者の闇は深く(いい意味で)、その頃の体験や生きにくさがモロに出ている。

アイアムアヒーローもそういう立ち位置で読まないとラストの物足りなさに総スカンを喰らってしまいます。何を持って駄作なのかよく分かりませんが、花沢さんのファンはむしろ満足している方が多いと思ってます。

ただ、ぼくも学生時代とくに中学はまぁ~女子との接点なんてほぼなかったから、共感していい部類なんだけど黒歴史を回想しちゃうのでちょっと苦手

リアリティ

アイアムヒーローはとにかく「リアリティ」を強く意識した作品になっています。それはZQNという非日常をよりリアルに読者に伝える手法として、日常を細かくリアルに描いていますがストーリーにおいても同様の信念があるように思います。

背景を同じにして人物のみを動かす映画的な手法で描いているのもリアリティをさらに増しています。以前NHKで放送されていた浦澤直樹の漫勉の花沢健吾回のときに「英雄には奇跡は起きない」と言っていたのがとても印象でした。

アイアムアヒーローにおける英雄の存在は、モブキャラがたまたま脚光を浴びているにすぎない存在。そして英雄の顔は花沢健吾の顔写真をトレースして描いているのも驚きでした。ある意味、英雄は花沢健吾の(どの作品よりも)等身大とも言えます。

ゾンビマンガでありながらも、そこにはノンフィクションのようなリアルさが流れていることは重要なポイントとして押さえておく必要はあると思う。

この番組は、普段は立ち入ることができない漫画家たちの仕事場に密着し、「マンガ誕生」の瞬間をドキュメントする。そして、漫画家・浦沢直樹がそれぞれの創作の秘密に同じ漫画家の視点から切り込む。日本の漫画家のペン先を、世界に届ける。それが「漫勉」。

まあ、今作はいい意味でも悪い意味でも作者がこだわるリアリティを徹底したためかなり不評なラストになっちゃったというねw

ZQNとはなんだったのか

ZQN化計画を実行した首謀者は宇宙人だったのかどうかは分からずじまい。巨大ZQNを見る限り地球外生命体による仕業なんだろうとは思う。

ですが侵略なのかテラフォーミングなのか目的はよく分からない。実際生き残った人類はいますし、巨大ZQNは停止してしまう。

アイアムアヒーロー
出典:アイアムアヒーロー20 花沢健吾

ただ、巨大ZQNとは個を捨て「名もなき集積脳」として、生と死を超越した存在になること、つまりZQNの最終目的は1つになることだった。また、東京で誕生した巨大ZQNは2ch掲示板を模して個々の感情を共有する。

アイアムアヒーロー
出典:アイアムアヒーロー20 花沢健吾

だがゾンビに感染するも意識統合する前に脳が破壊されてしまうと巨大ZQNとして融合するこはできなかった、小田のように。

さらには感染前に脳に疾患やトラウマなどなんらかの問題を抱ええている場合も該当するらしい。パンツ一丁のクルスがその典型。

また英雄のように心が閉じている人間や比呂美のように幼少時にイタズラされたことで脳に何らかの問題を抱えていたこともこれに当たる。

頭の状態によって感染の程度が違ってくるようなので肉体より脳ミソがミソ。肉体を捨て精神世界の中で巨大な一つの集積脳となって生存することが宇宙人のテラフォーミングの全貌だったのか。

ZQNについて言及しているのは19巻のスペインのシーン、サクラダファミリアの下でパンツ一丁男のセリフ。巨大ZQN内の集積脳となれば生死という概念は無意味になり、地球の内も外もなくる。

ZQNとは「ゾンビ、あるいはそうではない」

辻褄は合う。

ラストの解釈

まず東京で誕生した巨大ZQNの宿主に選ばれたのは早狩比呂美でした。そのため彼女の意志によって英雄の命はいかようにもできたようです。

で、比呂美の出した答えは、このぶっ壊れた地球で英雄を生かすこと。

左脳=理性が比呂美の負の感情によって支配され、殺す殺す殺すと感情が爆発していく。掲示板の名前を見ても「?狩?呂美」「早?比呂美」と自分の名前さえ認識できないほど感情が圧倒するんですが、最後の最後で「早狩比呂美」が

生きて英雄くん

と助ける選択を選ぶ。

アイアムアヒーロー
出典:アイアムアヒーロー22 花沢健吾

作者が描こうとした徹底したリアリティ。たった数年で英雄がこんなにも禿げちらかしちゃったのは、比呂美が思った通り苦しみながら生きてきた証拠そのもの。3.11の地震もその演出の一つではないか。

ラストはまっさらな雪の上に一歩踏み出すコマで終わっていたけど、こんな世界でも生きていこうという意志は伺える。

クソみたいな世界を無条件で受け入れ抗うダメ男の新たな一歩ってことなんでしょうか。ただそこには奇跡もなんも起きない一人のオッサンの東京サバイバル生活が待ち受けているだけ。

おばちゃんと少女

もう一つはおばちゃんが若返った奇跡の理由について。

これはコロリ隊に属する若い女性隊員の意志ではないかと思います。巨大ZQNに融合しないクルス組は、彼ら同士で融合していた。

巨大ZQNの場合は掲示板によって意志共有をはかりましたが、クルス組はそもそも人数が少ないためか普通に会話によって意志を決定していました。

そしてこのクルス組も1つのZQNの巣と考えれば、女性隊員が比呂美のような女王蜂の役割としておばちゃんを助ける選択を選んだのではないか。

アイアムアヒーロー
出典:アイアムアヒーロー22 花沢健吾

彼女の決断はおばちゃんを助けること。クルス組の会話で「誰も見ていない裸の王様」なんてセリフはクルスのパンツ一丁姿の伏線回収ってことなのかもね。

アイアムアヒーロー
出典:アイアムアヒーロー5 花沢健吾

寝たきりクルスはネット動画で次世代のヒーローだといい、スコップクルスは覇者と名乗った。いずれにせよ人類がいなければどんな肩書きも意味をなさない、まさに裸の王様。

だからおばちゃんを若返られて人類の絶滅を救おうとしたのかも。それが彼女の決断であり、他のクルスも従った。

ただ、おばちゃんが若返ったにもかかわらず目が潰れたままだったのは、それぞれの発言権が強いクルス組では合議的に決められるためスコップクルスの意志が反映されてたのかね。

英雄とはなんだったのか

やっぱり英雄は最後の最後までモブキャラ的扱いだったと思う。銃という最強武器を持っていたことで、たまたまヒーロー役に格上げしたって存在。「選択間違えたなぁ」と最後までダメ男として描かれてましたからね。

コロリ達が生き残ったのもそのためだったのかもしれない。彼らもZQN後の世界を生き抜いていくヒーローの一人と言えますし、英雄には人類、いや地球を救うヒーローには荷が重すぎたw

ただ英雄の知らないところで「英雄しゃん、ありがとうございましゅ」と胸を張れるような人生じゃないけど、どこかの誰かが自分のことを感謝してくれていた。タイトルにはヒーロー=英雄という意味も当然含まれていたはず。

映画や漫画に描かれる完璧な王道ヒーローじゃないけど、英雄は誰かにとってのヒーローになってたのは間違いない。これが花沢さんが描いたヒーローって奴なんじゃぁないでしょうか。

本人は最後まで気づくことはなかっだけど、そこが鈴木英雄らしさなんだろう。ただ一番の謎は感染したにもかかわらず巨大ZQNにもクスル組にも受け入れられない、そしてヒーローにもなれなかった英雄の正体は一体なんだったのか。

一人のダメ男のサバイバル漫画にしてもあまりに異質に映る。

アイアムアヒーロー 花沢健吾
出版社: 小学館
販売: 小学館
発売日: 2017/3/30
ASIN: B06XKMXYWX

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KaoruAnatu
毎夜カタカタ投稿している中の人。本とサブカルを中心に執筆中。独自視点でレビューが書けたらと思っている今日この頃