口裂け女のモデルは山姥にアリ!?民俗学から解明された都市伝説の正体

数十年前に流行った口裂け女の噂話は、地域によって差こそあれ、覚えている人は多いだろう。

口裂け女に限らず、人面犬やトイレの花子さんといった怪談チックな都市伝説は今なお子どもたちを怖がらせている。

こういった都市伝説は、たとえば天狗や鬼、山姥(やまんば)といった異形なモノたちが登場する昔話にどこか通ずるものを感じてしまう。

昔話と都市伝説を比べてみたらきっと面白いに違いない、ということで、今回は民俗学から都市伝説についてアプローチしていきます。

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民俗学と神隠し

たとえば、誰かが何の音沙汰もなく忽然(こつぜん)と消えてしまった場合、「神隠し」のせいにする人はいないだろう。少なくとも、真っ先に思い浮かぶのは「誘拐」や「失踪」のはずです。

しかし、各地にある民間伝承を調べていくと、村人が突如として消えてしまう現象を「神隠し」として扱っている文献が多く残っているという。

民俗学の第一人者である柳田國男の『遠野物語』にも記されているように、日本の村社会において、「神隠し」という現象は間違いなく信じられていたのだ。

かつての日本人は、自分たちが住む世界の「向う側」に「異界」と呼ぶことができるもう一つの世界を信じており、そこから自分たちの世界に忍び込んできた「もの」(広い意味での神)に、ふと取り隠されて、異界に連れ去られてしまうことがあると信じていた。
出典:神隠しと日本人 小松 和彦

「もの」に取り隠されたのだ、としか言いようのないような不思議な失踪事件。それに対して人びとが貼りつけたのが、「神隠し」というラベルであった。
出典:神隠しと日本人 小松 和彦

では、なぜ現代では「神隠し」を信じなくなったのか、これは言うまでもなく「神隠し」というラベルを貼らなくなってしまったからだ。今でも「神隠し」と言えるような事件はニュースで報道されることはある。

しかし、そこには「神隠し」というラベルではなく「誘拐」や「失踪」といったラベルになってしまったのが現代の神隠しの正体である。

昔と違って「神隠し」というラベルを貼らなくなっただけなのである。
出典:神隠しと日本人 小松 和彦

なぜ急に神隠しの話題になったのか。言うまでもなく口裂け女の都市伝説を考察するためである。

口裂け女の都市伝説や「浦島太郎」や「三つのお札」といった馴染み深い昔話も、神隠しというキーワードで読み解いていくことで、面白い発見があるためだ。

もちろん、まだ繋がりが掴めなくても問題ない。これからじっくりと話していくのだから。

三つのお札

昔話といえば、「いいな、いいな、人間っていいな」でお馴染みのまんが日本昔ばなし。その中で「三つのお札」という昔話を覚えているでしょうか。

ある日のこと。

小僧が山に花採りに行くというと、和尚が三つのお札をくれる。山で花を採っていると、どこからか婆が出てきて、「いい物をあげるからついておいで」といい小僧を誘う。小僧は言われるままに婆の家に行くのだが、その婆の正体は実は山姥(やまんば)であった。

小僧は和尚からもらったお札を使って命からがら逃げかえるのだが、山姥も寺まで追いかけてくる。そこで和尚が山姥と化けくらべをし、豆に化けた山姥を和尚は食べて退治する・・・という昔話だ。

昔は爺さん婆さんがが子供たちに、こうした昔話を聞かせることで、安全を守っていた。「夜道は出歩かない」「夕暮れまでには帰ること」昔話には山姥や鬼、天狗といった化け物がメタファーとなって日常にある危険を説明してくれていたわけです。

突如として村人が消えるといった現象に遭遇したとき、村人たちは「神隠し」を連想し、山姥の仕業、あるいは天狗や鬼によって連れ去られたかもしれないと当たり前のように思ったのであろう。

なるほど、昔話とは、この世ならざるモノを具体的にイメージする装置としてあるのだと考えたとき、なぜ昔はこれほどまでに「神隠し」が信じられていたのかが分かってきます。

高度成長期以降、「神隠し」の話は日本人の間から急速に姿を消していくことになる。人びとが神を信じなくなり、また異界を信じなくなったからである。それだけではない。異界観や神観念を共有することで成り立っていた民族社会それ自体が、都市化の波に呑まれて、変質し崩壊していったのだ。
出典:出典:神隠しと日本人 小松 和彦

昔話によって子どもでも神や異界といったモノに、恐怖するくらい具体的なイメージを共有できていた社会があったからこそ、信じることができたというわけです。

口裂け女と山姥

神隠しを現代社会が信じなくなったとはいえ、なくなったわけでは決していない。むしろ、それは形を変えて、今もなお存在しているという。

口裂け女の都市伝説はまさに現代の昔話ともいえる好例で、民俗学から調べていくと、昔話で語られる「山姥(やまんば)」に多くの類似点があるというのです。

こうした「口裂け女」はきわめて現代的な装いをまとった話になっているのだが、口が耳まで裂けていることと百メートルを三秒ではしるということの二点に注目するだけで、この女が、山姥の後胤(こういん)であることに気づくはずである。
出典:神隠しと日本人 小松 和彦

これは民俗学者の野村純一氏が全国に存在している「口裂け女」の噂話を千二百例も集めて出した上で指摘したのものである。実にご苦労なことです。

ここで興味深いのが、「口裂け女の都市伝説」と「三枚のお札」との結末の違いである。三枚のお札は、山姥に連れ去られたにもかかわらず無事生還することができた、しかし、口裂け女の場合、捕まったら最後、その場で殺されてしまうのである。

この結末に違いについて「神隠し」を信じるかどうかによって、説明することができるのだ。

もっとも、この「口裂け女」には、伝統的な異界を失った時代に出現したため、出会った人間を連れ去るべき異界がなかった。
出典:神隠しと日本人 小松 和彦

神隠しを信じなくなってしまった現代では、異界という存在を現実社会の中で見出すことができなくなってしまった。人ならざるものが住む異界がなければ、死という結末しかないのも頷ける。

神隠しと日本人 小松和彦
「神隠し」とは人を隠し、神を現わし、人間世界の現実を隠し、異界を顕すヴェールである。それは人を社会的な死、つまり「生」と「死」の中間的な状態に置く装置であった。だからこそ「神隠し」という語には甘く柔らかい響きがただよう―。
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