2006年に細田守監督によって制作されたアニメーション映画『時をかける少女』。
原作は筒井康隆の小説なんですが、出版されたのが60年代ということもあって、短編作品というのは意外と知られていない。
なので、普段本を読まない人でも原作に手を出してみるのもアリ。1時間程度もあれば読めてしまいますからね。
というのも、原作を知ることで今作をもっと深く理解できますし、実際に原作を読まないと分からないシーンもあるんです!
あれから20年後の世界を描く
出典:時をかける少女(劇場予告)|KADOKAWAanime
はじめてこのアニメを見たとき、原作はおろか予備知識もなかったので、意味深なシーンが登場してきても理解できなかったんですが、今にして思えば、それはそれでアリでした。
こうして原作を読むきっかけになったことで、より深く理解できたので。原作についてみていくと、実写ではドラマや映画で描かれたことはあったものの、アニメはこのときが初めての試みだったといいます。
しかも、今作は原作を忠実に再現した作品ではないんです!
そもそも主人公の名前からして全く違います。原作の主人公は芳山和子(よしやま かずこ)ですが、アニメでは紺野真琴(こんの まこと)となっています。
もちろん、そのほかの登場人物の名前も、構成も違っています。では、なぜアニメでは原作とは違った構成になっているのか?
それは、原作から20年後の世界を描いているからなんです。劇場でリアルタイムで見ているならともかく、ぼくのように、DVDとか配信動画ではじめて見た人だと、この設定を知らない人は多いんじゃないでしょうか。
魔女おばさんの正体
今作において、重要な登場人物の一人であった魔女おばさんですが、残念ながらアニメを見ただけでは、彼女の正体に気がつくことはほぼ無理かなと思います。
というのも、彼女の正体についてあまり触れていないからです。しいて言えば、30代後半で今も独身ということくらい。
ただ、後半ではこんなシーンがありました。

出典:時を書ける少女 角川エンタテインメント
時計とラベンダー。
意味深な匂いがプンプンしてきますが、このシーン、原作を読んでいるとすんなり魔女おばさんが誰なのか分かるような仕掛けがしてあったんです。
原作においてラベンダーは非常に重要なキーワードでした。
ラベンダーを育てていたからだ。ぼくはあの花からクロッカス・ジルヴィウスを作り、未来へ帰るつもりだったんだ
出典:時をかける少女 筒井康隆
20年前に芳山和子(原作の主人公)が出会った未来人はラベンダーの匂いがする青年だったんです。和子にしてみれば、ラベンダーは未来人を表す一種の象徴。
つまり、アニメでのあの一コマは、紺野真琴と同じように、20年前にタイプリープを使い、そして未来人に出会っていたことを表していたんです。
ここではじめて、魔女おばさんは芳山和子本人であることが分かります。アニメでは20年後の世界を描いていますから、年齢から考えても辻褄が合います。
彼女が今でも独身なのは、あのとき出会った未来人との約束を、今でも守っているからなんですね・・・なんだか切ない。
原作とアニメのラストの違い
魔女おばさんの正体が芳山和子ということが分かると、原作とアニメのラストを描き分けた理由も理解できます。
原作の主人、公芳山和子は20年経った今でも、未来人が迎えにくることを待っていました。
なら、紺野真琴はどんな答えを導きだしたのか。とても印象的だったのが和子が真琴に恋愛のアドバイスをしていたシーン。
でも、真琴。あなたはわたしみたいなタイプじゃないでしょ
出典:時をかける少女 角川エンタテイメント
わたしみたいなタイプとは、好きな人(未来人)が迎えにきてくれるのをひたすら「待つこと」でした。
このセリフは原作からも読み取ることができます。
じゃ、またわたしに、会いにきてれくれる?
出典:時をかける少女 筒井康隆
これに対して20年後、つまり現代の主人公・真琴はどうかというと、和子とは違う決断をします。
うん、すぐいく、走っていく
出典:時をかける少女 角川エンタテイメント
真琴が出した答えは、自ら「会いにいく」ことでした。受動的な和子に対して、真琴の行動は能動的で、今っぽさが出ていますよね。
原作を読むことで、それぞれの主人公の心情の違いが比較できたのも面白い。ちなみに、真琴のラストのセリフにも、こうした態度が強く出ています。どんなセリフを言っていたかは、実際に確認してみてください。