漫画「クダンノゴトシ」は、2015年から2017年1月までヤンマガで連載されていた作品。作者は渡辺潤さんであり、代紋<エンブレム>TAKE2の作者です。
ホラーというよりサスペンスよりな漫画。しかも、なにを血迷ったか、終盤からはダークヒーローの要素も盛り込まれ、ストーリーがブレブレになっていった。
そして、意味不明なラスト。公式にはアナウンスされていないものの、ネットでは打ち切られたのでは?といった憶測もあるが、これには同感。
というのも、主人公をはじめ伏線が回収しきれてなさすぎる。なんとか最終回まで描こう、いや、描けばいいんだろ感があり、駄作と酷評されてもいたしかたないレベル(本気)
[toc]
クダンノゴトシのあらすじ
城栄(じょうえい)大学に通う辻元光(つじもと ひかる)、大学四年生。サークル仲間と卒業旅行の帰り、なにかを轢いてしまう。
何を轢いたのか確認するため、スマホの明かりをたよりに捜索する光たち。周囲は木や草が生い茂る森、道路は舗装されていない山道。
そんな状況で、光たちが見つけたのが牛に似た黒いシルエット。さらに近づき様子を伺うと、ゼェ、ゼェと荒い息をする異様なものが倒れていた!
体は牛なのだが、顔が人間のバケモノだった!まさに人面牛!異様な姿に恐怖を感じた光たちは、人面牛を袋叩きしてしまう。
この事故を境に、サークルの仲間が次々に謎の死を遂げていく。死んだ学生たちの前に牛のバケモノが現れ「7日後に死ぬ」と予言され、必ず当たる。
あのとき、轢いてしまった人面牛の呪いなのか?連鎖する呪いを止めるべく、光たちは人面牛と呪いの真相を追い求めていく・・・といったストーリー。
人面牛の正体と妖怪「件」の謎
まずは原作の流れにそって、人面牛の正体を探っていきた。光たちが遭遇した顔は人間、体は牛のバケモノ、その正体については1巻で早くも判明する。
出典:クダンノゴトシ1 渡辺潤 講談社
件(くだん)と呼ばれる半人半牛の妖怪。
本来「件」は厄除け、ご利益がある神聖な怪物として崇められていたという。言い伝えによれば、確かに予言はするのだが、死を告げるような不吉なものではなかった。
ただし、件に対してよくない行為、恐怖のあまり殺してしまったり、気持ち悪いと袋叩きにすれば話は別。光たちが件に呪われたのは、どうやらここに原因があるようなのだ。
出典:クダンノゴトシ1 渡辺潤 講談社
ボッコボコにされる件
体が牛で顔が人間、そんなバケモノを神聖な生き物とはだれも思うまい。あのとき、恐怖のあまり件を袋叩きにしたことで、神罰、つまり呪われてしまったのではないかと推測していく。
光たちは件の呪いが原因で死んだ。だから、この呪いを解く方法を探していく。てっきりそんなストーリーとばかり思っていたのだが、実際は思わぬ方向へと二転三転していくのである。
件は「呪い」ではないのか?
個人的に分からなすぎたキャラが妖怪・件の役割だ。本作において重要なキャラであり、ストーリーにおいてもキーパーソンなのは明らか。
しかし、アイツは結局のところ一体何者だったのか、その正体については最後の最後まで曖昧なままで終わっていたように思う。
件は古来日本で生まれた妖怪であり、文献も残っている。日本の民俗学をなぞりながらストーリーが展開していけばよかったものの、突如として、件は神様だと信奉するキャラが登場する。
メンヘラ女子・馬場あゆみだ。
出典:クダンノゴトシ4 渡辺潤 講談社
彼女は、新約聖書のヨハネの日記の一説を持ち出し、件を神の子として崇めていく。妖怪でも呪いでもなく、神様説までも登場する始末。
もはや世界観は滅茶苦茶。
菅原道真の怨霊?
そうかと思えば、光たちに協力する城栄大学教授・橘(たちばな)によれば、件を遡(さかのぼ)ると、日本三大怨霊の一人菅原道真が起源ではないかと推測する。
出典:クダンノゴトシ4 渡辺潤 講談社
平安時代、菅原道真は政治の派閥争いに敗れ、右大臣の役職を失脚。その後、九州の大宰府に左遷され、二度と宮中に舞いもどることは叶わず、不遇の死を遂げた人物。
この失脚の怨念が凄まじかったようで、道真の死後、さまざまな怪奇現象が宮中にて起こり、彼の怨念は現代でもなお成仏できていないのだという。
また、道真は生前「牛」をたいそう愛でていた。菅原道真を祀っている大宰府天満宮の境内に牛が置かれているのは有名な話である。
出典:クダンノゴトシ4 渡辺潤 講談社
ということはだ、途中、キリスト教などの邪魔が入ったものの、結局のところ、橘教授が指摘したように件の正体とは、菅原道真の呪いではないか。
人面牛の姿で現れたのも、道真のシンボルが牛だから、あの姿をして現れたとのだ、、、、と理解したのだが、どうやらこの解釈も違うようなのだ!
ここまでくると、何だこれ感がスゴイ。
件は災いが起きる前兆?!ファッ!
今まで見てきたように、件の正体はさまざまな説が登場するのだが、なら件の正体とはなにかと聞かれれば、ハッキリと断定することができないのだ。
というのも、最終巻において「件とはそもそも呪いなのか?」という疑問を抱いてしまう展開になっていったからである。
今まで呪い、呪いと何十回と作中で連呼してきたが、違うようなのだ。菅原道真は結局のところ関係なかったのか?妖怪とちゃうんか?と頭が混乱する。
そもそも、妖怪・件と菅原道真との接点についても一切言及していない。妖怪・件と菅原道真の怨霊はイコールとしていいのか不明なのだ。
結局、件の正体とはいえば、今まで広げに広げた風呂敷はそのままににして、予言を伝えるメッセンジャーというオチでラストを迎える。
なんやねんこれ。
呪いではなく、メッセンジャー、急に言われても頭が混乱するばかり。そこで、最終巻で描かれた件の正体を深堀していくことにしたい。
辻元光の正体
件について話す前に、本作の主人公である辻元光の正体について説明する必要がある。はじめは、件の呪いを受けた大学生の一人として登場していた。
しかし、件の正体に迫っていくうちに、件が辻元光ではないかという疑念が生じはしめていく。そして、終盤で明かされたのは光の本当の姿。
出典:クダンノゴトシ6 渡辺潤 講談社
光は災いが起こる前兆に現れる
辻元光は日本の歴史上において、災いが起こる前に必ず出現する、人ならざる存在であった。大地震、戦争、疫病、過去におきた大災害の前には必ず辻元光の名前が記録されていた。
光の役割は大災害が起こることを予言する、つまりメッセンジャーとしての役割を持ち、呪いがどうこうといったことはしない、というか、できないのだ。
しかし、現代に姿を現した光は、自分の役割を忘れた状態、自分が件であること、人間ではないことすら覚えていなかった。
だが、そんなイレギュラーな存在であるがゆえに、本来の役割そっちのけで、運命を変えるために行動していくことになる。
辻元光=件?
ただ、非常に面倒くさいことに、人面牛と光が同一人物といえるかは微妙なところで、道真と神使の関係のように、光の使いとして人面牛が別にいるという考察もできたりする。
げんに、桜井千鶴や馬場あゆみが件(又は光)を出産するシーンを振り返ると、千鶴のときは人面牛が、あゆみのときは光を出産していたりと、光と人面牛を描き分けていた。
出典:クダンノゴトシ1 渡辺潤 講談社
また、光の自殺を人面牛が止める場面も描かれており、光と人面牛が別の存在なのかもしれないという推測は捨てきれない。
なら、あの人面牛は何だったのか?
知らない、オレに聞かないでくれ。
菅原道真を持ち出して、道真の神使がどうのこうの、太宰天満宮がああだこうだ、説明してだけど、光と道真とは、結局のところ関係があるのかないのかも分からない。
出典:クダンノゴトシ6 渡辺潤 講談社
最終巻で光がこの世に出現した意味ついて話しているが、それによれば、「これから起こることを伝えるためだけに存在する」と言っている。
さきほどいったように、光の役割とはメッセンジャーとして人々に予言するのが仕事、そのためだけに現代に現れたのは確か。
しかしである。
「7日後に死ぬ」と言われた学生たちは、その日が来るまで死ねない体にさせられていなかったか?東京に謎の病原菌をまき散らして、人間を殺そうとしてなかったか?
予言するだけじゃなくて、ガッツリ現代に干渉しているんだが、これはどう理解すればいいのか。結局、人類滅ぼそうとしたのは、光お前じゃねえかとツッコミたくなる。
そもそも、東京民を殺すために謎の病原菌を自らばらまいた時点で、予言でもなんでもなく、ただの計画的犯行じゃねとも思わなくもない。
クダンノゴトシ最終回は人類滅亡ルート
イレギュラーとして現代に現れた辻元光は、自分の使命を完全に忘れてしまう。そのため、本来なら出現しないはずの、もう一人の辻元光が登場するのだ。
現代に現れた二人の辻元光。
出典:クダンノゴトシ6 渡辺潤 講談社
現代に現れた二人の光!
仕事をしないイレギュラー光に代わって、人類に大災害の予言をするための現れたのがもう一人の光。そして、今回の予言とは
あと7日で世界は滅亡する
というもの。
大災害を通り越して人類滅亡という壮大なテーマになってきた「クダンノゴトシ」。はてさて、どんな落としどころを見せるのか。
それこそ作者の腕の見せどころですが、ラストはイレギュラー光によるわけの分からないポエマー炸裂でジ・エンドを迎えることになります。
出典:クダンノゴトシ6 渡辺潤 講談社
件の呪いによって大学の友達が次々に不遇の死を遂げていく中で、唯一生き残っていた桜井千鶴を守りたい!という思いが人類滅亡ルートを回避させた、そんなラストです。
かなりザックリですが、そもそも、なぜ愛の告白が人類滅亡を回避することができたのか、愛は滅亡さえも乗り越えられることを、作者は伝えたかったのか。
多分作者自身も意味わかんないまま描いてたと思う。
最終巻のラストコマもさらに輪をかけてワケワカメ。人類滅亡ルートを回避し、呪いから生き残った千鶴ですが、彼女の前に再び再び現れたのが、バーテンダー光。
出典:クダンノゴトシ6 渡辺潤 講談社
イレギュラー光は災害を予言するために現代に現れたんじゃなくて、千鶴を人類滅亡から護るために現れたっていうオチ。愛のパワーが運命をねじ曲げたといった感じ。
とはいえ、二人は前世から愛し合っていたみたいな過去設定はない。イレギュラーとして出現した理由を千鶴に求めるのも無理があるし、ラストでポエムを語られてもねぇ、ついていけない。
さらにイレギュラーな存在であっても、光は災いの根源であることには変わらない。なんだかハッピーエンドでラストを迎えているようにもみえるが、そこには違和感しかない。
光もまた記憶を失ったのか、姿を現したということは、災いは完全に回避されなかったのか。なんともしっくりこない最終回だった。
タイトルから最終回を私的考察
タイトルの「クダンノゴトシ」の、クダンとは作中に登場した件のことを指していることは言うまでもない。さらに「件の如し」とはビジネスの場面などで使われている定型文でもある。
契約書等の最後に「件の如し」と一筆添えられていることがある。「以上の通り、契約に嘘偽りはない」という意味で使用される。
タイトルが定型文の意味と掛かっているなら、件の予言は必ず当たるもの、つまり人類滅亡は誰にも阻止できないことになる。しかし、結末はイレギュラー光によって阻止された。
嘘偽りない「件の如し」の意味が、最後の最後で覆ったわけだが、千鶴への愛が運命を変えた、そんなラストを想定して作者はこのタイトルを選んだのだろうか。
ただ、そうだとしても、本作において「愛」が作者のテーマだったと知るのは最終話くらい。それまでは「愛」がテーマなんて一ミリも感じなかった。
そんなことよりも、呪いは一体どこへいったのか、そのことのほうが気になる。愛とかどうでもいいから、人面牛や呪いをもっとちゃんと描けよと思った。
打ち切り説の真相
ネットでは「クダンノゴトシ」が打ち切りになったことで、あんな意味不明なラストになったのでは、といった憶測が流れていました。
とはいえ、最終回以前から意味不明なところは随所にあったので、打ち切りかどうか以前の問題という気もしないではない。
だが忘れてはいけない!
作者はあの渡辺潤であることを。かつてヤンマガで長期連載していた「代紋<エンブレム>TAKE2」のラストは今でも忘れまいwww
もちろん悪い意味である。
夢落ちならぬゲームオチ、単行本にして60巻以上続いた作品のラストがあれ、クソラスト漫画グランプリがあるものなら、必ず名前が挙がるほどのインパクトはあった。
そう考えると、今作も悪い意味で渡辺作品でした。読者の気持ちを一ミリも汲んでいない意味不明なラスト、伏線が伏線として機能してない飛散な構成はダメだろ!
打ち切り説の真実は知らない、だが、作品のグダグダ感から打ち切り説が浮上したのだろうが、渡辺作品はそもそもがそもそもなのだ。
クダンノゴトシまとめ
グダグダというには、あまりにも構成は稚拙すぎて萎えるしかない。今回は完結してから一気読みしたからいいものの、連載だったら途中でぶん投げてるレベルの作品。
ここでは一番重要なキャラであった件の意味不明さを紹介したが、回収しきれていない伏線は随所にある。なぜ千鶴は件を出産できたのか、そもそも彼女はなぜ影を失くしたのか。
舞は死なない身体なのに、件に死亡予言を言われる前に死亡してるし、不死身って設定はどこへいったのか、忠の存在も意味不明すぎて、ほとんど理解できない。
この記事に辿りついた人は、恐らくクダンノゴトシの内容が分からなすぎて検索した人だと思う。けど、その感想は読んだみんなが同様に思ってることだから気にする必要はないゾ!
理解できなくて当たり前!
なまじ絵がうまいし、単行本の表紙もドクドクしくて読みたくなるのだが、それに騙されてはいけない!残念ながら読んで損した、そんな漫画でした、まる。