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手塚治虫の名言!?『夢オチ』タブー説の真相について考えてみる

ネットに転がるありとあらゆるネタ。

事実だけでなく、ウソや釣りなどさまざまですが、マンガネタに関しては、そのほとんどが作り話や一見すると事実なんだけど、微妙に異なる情報だったりがまかり通っています。

ただ、マンガファンにとっては、その真実が本当かどうかを、ついつい調べたくなるものです。

というわけで、今回は漫画の神様・手塚治虫先生の「夢オチタブー説」の真相について考えていこうと思います。

きっかけはさよなら絶望先生

ぼくがはじめてこの説を知ったのは、ギャク漫画の傑作、久米田康治先生が描くさよなら絶望先生の第五集。

この単行本の第四十七話の夢無し芳一の話の回でのセリフから。


出典:さよなら絶望先生 第五集 久米田康治 p92

先生、夢オチは手塚先生が禁止して以来、漫画界最大の禁忌(タブー)ですが

というセリフです。

実際に本当にそんなことを言っているのでしょうか?というわけで調べてみることにしました。

そこで、手塚治虫関連の本、特に自伝本を中心に読んでいくと、その根拠となる記述を見つけることができました。

これでスッキリ眠ることができそうです(この記事は夢オチではありませんので)。

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マンガの基礎は四コマ漫画

1977年にカッパ・ホームズ(光分社)から出版された手塚先生の『マンガの描き方』。

さすがにこの本を入手するのは困難ですが、96年に文庫化されていたので、これなら今でも新刊で入手することが可能でした。

さて、この本で手塚先生は、漫画の原型は四コマ漫画にあると言っています。

起・承・転・結のストーリーを四つのコマだけで表現することは、漫画を描く上で非常に役に立ってくるとアドバイスしています。

四コマ漫画は、漫画のスジ立ての基本である。練習するしないで、実力もまったく違ってくる。ぼくも終戦直後漫画をはじめたころ、四コマ漫画の勉強はずいぶんしたものです。このころは、長編漫画を発表できるところがなくて、しかたなく四コマを描いていたのだが、このことは後になって、よい経験となった。
マンガの描き方 手塚治虫p123

さて、この件(くだり)は『マンガの描き方』の第二章の「案(アイデア)をつくる」に書かれているのですが、この章の中では、「わるい四コマの例」として、四コマ漫画を創作する上で、こうしたアイデアで作ってはダメだよという悪例もあげています。

たとえば下ネタ。

きたないテーマは、よほど手なれたマンガ家以外は使わないほうがいい。
マンガの描き方 手塚治虫p127

そして、注目したいのがもう一つの悪例です。

マンガの描き方
出典:マンガの描き方 手塚治虫p127

なんでも夢のオチにしてしまう。

先ほども言ったように、手塚先生は漫画の基礎は「四コマ」にあると本書では言っています。そのため、四コマに限らずどんなジャンルの漫画においても、夢オチはタブーという『さよなら絶望先生』にあった根拠にもなりえるとも言えます。

ただねぇ・・・

これがタブーとまで言えるかどうか?

本書を読む限り、ニュアンスとしては、そもそも夢オチは全否定していません。「なんでも」という副詞がついていることからも、毎回夢をオチにするのはよくないという意味合いであって、夢オチ=悪とは言っていません。少なくとも、ぼくはそう読めました。

残念ながら本書において、夢オチについて言及している箇所を、他には見つけることができませんでした。

結論

ここまで調べてみてぼくなりの考察としては、『さよなら絶望先生』において手塚治虫夢オチ否定説を唱えているのが、糸色望(いといきのぞむ)先生でなく、生徒の発言ということを前提に考えれば納得がいきます。

この発言は藤吉晴美(ふじよしはるみ)というBL好きでカップリング好きのアニオタの発言であって、望先生はこれに対して

さよなら絶望先生
出典:さよなら絶望先生 第五集 久米田康治 p92

ええっそうなんですか?

という受け答えをしていることから、あくまで生徒の知識であって、そこには信憑性はあまりないと解釈した方が妥当なように思います。

一応夢オチ否定説は今回の調査で100%間違ってはいないわけですから、ギリギリセーフという結論とします。

読んでいただきありがとうございました。

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