「世界商品」という言葉をご存知だろうか。
ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、アフリカ、アジアなど、全世界の人々に需要のある商品のことを世界商品と言うんだそうです。たとえば小麦やコーヒー、茶など、食べ物だけに限らず熱帯木材も世界商品。
どの国においても需要がある商品なわけですから、時の権力者たちは「この商品を独占しちまえば莫大な利益があげられる」と思ったことでしょう。
世界商品をめぐってあちこちで国同士の戦いが繰り広げられました。
砂糖ももちろんそんな世界商品の一つ、砂糖の独占をめぐり世紀を越えて争ってきたわけですが、最終的に勝者に君臨したのがイギリスでした。
ここでは大航海時代をきっかけに勃発していった、ヨーロッパの砂糖争奪戦の歴史をを垣間見ていこうと思います。
砂糖争奪戦のはじまり!
砂糖の原料といえば砂糖きび。
いくら砂糖を我が物にして世界の砂糖を牛耳ろうと思っても、砂糖きびはどこでも作れる植物ではありません。主な原産国は熱帯や亜熱帯。
たとえば日本の砂糖生産地として有名な沖縄(黒砂糖)は亜熱帯に属すように限られた地域でしか栽培することができないわけです。
自国で生産できないヨーロッパ人はどうしたかといえば、コロンブスらによって開かれた大航海時代をきっかに植民地化していった(亜)熱帯地域のアジアやアフリカに目をつけ砂糖プランテーションを作りまくっていきます。
最初に砂糖の覇権を握ったのがポルトガル。

▲エンリケ王子(1394-1460)
ポルトガルは航海王の異名をもつエンリケ王子らの活躍により、15世紀にはアフリカ西海岸に進出してアジアにまで手を伸ばそうとしていました。

出典:トルデシリャス条約(紫)とサラゴサ条約(緑)の境界線|wiki
▲紫の線がトルデシリャス条約
1494年、海外領土分割をめぐりスペインとの間に結んだトルデシリャス条約によってブラジルがポルトガル領になるわけですが、これを機にアフリカから大量の奴隷を連れてきて大規模な砂糖プランテーションをはじめていきます。
十六世紀をつうじて世界の砂糖生産の中心は、ブラジルでした。労働力としての奴隷をアフリカで獲得できたポルトガルは、砂糖プランテーションをつくることが容易だったからです。
出典:砂糖の歴史 川北稔
ポルトガルが先駆けて砂糖プランテーションに成功した理由として、多くの奴隷を確保できたことにあるようです。
同じく大航海時代に台頭したスペインは、ポルトガルと異なりアフリカに植民地がなかったため奴隷を確保できなかったためプランテーションができなかったわけです。
カリブ海時代
ポルトガルが砂糖の覇権を握っていましたが、17世紀に入ると舞台はブラジルからイギリスやフランスが支配していたカリブ海へと移っていきます。
その立役者となったのがオランダ人。
島国日本にもオランダ人がやってきていたように、アムステルダムを拠点にポルトガル勢力は排除しながら世界を股にかけて台頭していきます。
オランダ人は日本をはじめ香港やジャワなどアジアの富(香辛料や金など)をかき集め、豊富な資金力によって世界の商業権をおさえるまでに勢力を拡大していきます。
実際ポルトガルの砂糖プランテーションも、金に物を言わせてオランダ商人の手に渡っていくことになります。こうして砂糖が世界商品としてさまざまな国へと輸出されていったわけですが、そこにマッタをかけたのがイギリスであります!
イギリスの台頭
オランダに代わり砂糖の覇権を握っていったイギリス、その経緯はイギリスの政治を見ると見えてきます。
キーワードはクロムウェルが制定した
航海法。

出典:砂糖の歴史 川北稔
▲オリバー・クロムウェル(1653–1658)
17世紀初頭のイギリスの政治はまさに混乱状態。きっかけはジェームズ一世。コイツが議会を無視して専制政治を断行、次のチャールズ1世も専制政治は止める兆しはない...。
まさに
国王vs議会
このバトルの亀裂は日に日に大きくなりピューリタン革命でクロムウェルによりチャールズ1世を処刑、一時的ではありますが共和制を樹立しました。
このクロムウェルがつくったのが「航海法」というエゲつない対外経済政策でした。これに怒りをあらわにしたのがこの頃海上の覇権を握っていたオランダ。
航海法とはアジア、アフリカ、アメリカからの輸入はすべてイギリス船を使うべしという他国からしてみれば外道ともいえるトンデモ法、オランダが怒るのも無理はありません。
航海法が引き金となり、ついに!英蘭戦争の勃発!
第4次まで続いたオランダとの英蘭戦争に勝利したのはイギリスでした。
これにより航海法が成立し、海上貿易の覇権はオランダからイギリスへと移り、砂糖の生産もイギリスの1人勝ちの時代へと突入していく!

出典:大西洋三角貿易|wiki
17世紀のイギリス貿易の特徴と言えば「三角貿易」である。
アフリカの黒人王国とアフリカ人奴隷とガラス玉や鉄砲などと交換、カリブ海まで連れてかれていき、奴隷を売り砂糖を獲得し本国イギリスへと持ち帰り売りさばく。
この航路が三角形に似ていることから三角貿易と呼ばれています。三角貿易によって莫大な利益を得たイギリス、のちの産業革命の原動力となったという歴史家もいるほど潤いまくっていた。
19世紀の奴隷貿易のかげり
アフリカ人を奴隷に強制労働させていた砂糖プランテーションはしだいに陰りを見せ始めていきます。そりゃそうでしょう、自分たちの利益のみを追い求める鬼畜経営をし続けてきたわけですから。
19世紀になると奴隷貿易への国際的圧力や人道的立場からの非難が起こり、廃止する流れが世界的に起こっていきます。
イギリスもそんな国の一つ。
ただイギリスの場合、砂糖貿易で文字通り甘い汁を吸い尽くしていたわけで、よく奴隷制を廃止できたなと疑問を持ちませんか。自国の利益を自ら減らそうとする政策ですからね。

▲19世紀のチャーチスト運動の様子
しかし19世紀のイギリスの国内の内情を見ると、自由主義運動が台頭し、労働者階級に選挙権を求めるチャーチスト運動なるものが起こり、政治もガラッと変わっていく時代でした。
奴隷制の廃止だけでなく、17世紀に制定した航海法や穀物法が廃止され自由貿易主義へと移行していく時代でもあり、こうした流れを押さえておくと、莫大な利益を上げていた奴隷制の廃止に踏み切った背景が見えてきます。
イギリスで奴隷制度が廃止されたのは1833年のことでした。
砂糖プランテーションでは労働力の確保ができず砂糖生産は急速に失速していきます。しかしプランテーション自体は閉鎖されることはありませんでした。
20世紀になるとアジア圏からの海外移民を「契約労働者」として雇うことで経営を維持していきます。初期の日本人移民たちも実はこうしたプランテーションで働く人が多かったようです。
現在の砂糖生産分布
現在の砂糖の生産国の分布はどうなっているのでしょうか。気になったのでちょっと調べてみることにしました。

出典:農林水産省HP
この図は農林水産省から引用したものですが、円グラフは赤色が砂糖生産量で、灰色が砂糖消費量を表しています。
16世紀ポルトガル領だったブラジルが現在砂糖生産国ナンバーワンとなっています。今まで見てきた砂糖プランテーションを背景に、奴隷制が廃止された後も生産は続いていたようです。
最近では砂糖は健康によくない食品として「世界商品」の地位が揺らぎはじめていますが、ブラジルの砂糖きび産業を覗いてみると、砂糖きびを原料にバイオエタノールの需要も増えてきているようで食品以外の用途にも使われているようです。
というわけでここまで砂糖にまるわる歴史を見てきましたが、砂糖の覇権を握ったイギリスで栄えた紅茶文化も実は砂糖と深く関係しているのはご存知でしょうか、砂糖にまつわるイギリスと紅茶文化についてはまた別の記事で紹介しようと思います。
参考図書・WEB
砂糖の世界史 川北稔
図解世界史 歴史がおもしろいシリーズ まがいまさこ
いちばんやさしい世界史の本 まがいまさこ
農林水産省HP
独立法人農畜産業振興機構HP
▼砂糖の歴史に興味を持った方はコチラをぜひ読んでみてください!