大航海時代の扉を開いた偉人といえばコロンブスやヴァスコ・ダ・ガマ。スペインやポルトガルが勢いづいてきた時代です。
岩波文庫から出版されている『コロンブス航海誌』はそんな扉をドーンと開いたコロンブスが第一回目の航海を記録した日誌である。
日誌だから文学的な小難しい表現はなく実は意外とあっさり読めちゃう。
しかもこれがめちゃんこ面白い!!
個人的には爆笑ものでしたwww
コロンブスといえばインディオ大虐殺としても有名ですが、第一回目の航海ではけっこう紳士に振るまっていた(少なくとも暴力で制圧していない)ことが分かる。
ガラス玉と金塊を交換してたりと鬼畜さの片りんは見せていたものの、温和な交渉は終始くずしていない。
むしろ、コロンブスというよりも部下がロクでもなかったのだ。
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出航早々船壊れる
コロンブスの初航海は1942年8月3日(金)、バロス港から出発。まずはカナリア諸島を目指し航海していく。このとき航海に使用した船は三隻。
ニーニャ号、ピンタ号、サンタ・マリア号
であった。
8月6日、出航から4日目、ピンタ号の舵(かじ)外れるwww
原因は船の欠陥でもなんでもなくて乗組員の仕業であると勘ぐるコロンブス。このとき確実な確証は見つけられなかったが「絶対コイツらだろ」と犯人の目星をつけていたと記されている。
ソイツらが
ゴメス・ラスコンとクリストーバル・キンテロ
の2人。
出典:ピンタ号の復元船|wiki
▲ピンタ号の復元船
この2人はピンタ号の所有者なのだが、スペイン王室より船舶の提供を義務付けられていた。無視するにもいかず従うのだが、強制ゆえ乗り気ではなかったのだ。
そこでゴメスらは船の舵を細工して、航海を中止に追い込もうとしていたのではないか。コロンブスは新航路・新大陸発見に躍起だっていたが、それに付き合わせられる者たちのテンションはコロンブスのそれとは打って変わって醒めていたようだw
想像するだけで面白い。
こうしたモヤモヤは航海中ずーっと続いていき、航海誌には舵に細工したゴメス以外にも、アイツだけは許さないだとか、邪悪な奴だとか、旅してきた一部の部下を蔑んでいる。
そして第一回目の航海で新大陸(実際には島だが)から帰国しようとしたキッカケが、部下たちの素行の悪さにあったのだ。
このような邪悪な仲間からはなれるために、これ以上この地に留まらず、一日も早く帰国することを決意した
出典:コロンブス航海誌p196
部下との折り合いはそうとう悪かったようだ。
ジパングの発見
コロンブスの目的といえば新大陸、香辛料発見であろう。これは教科書に書かれていること。しかし、航海誌を読んでいくとコロンブスの目的はそれだけではなかった!
面白かったのは黄金の国ジパング、つまり日本を探し当てることも渡航目的の一つであったのだ!
出典:屋外に再現された金色堂|wiki
▲黄金の国ジパングの由来とされる中尊寺金色堂
ジパングを世界に広めたのはマルコ・ポーロの「東方見聞録」、コロンブスもマルコの東方見聞録を読んでおり、大きな関心を寄せていた。
コロンブスが目指していたのはインドであったわけだから、ジパング発見も目的の一つとして考えていたのだろう(実際はキューバに辿り着いたわけだが)。
そのため航海誌を読むと実に黄金・黄金・黄金と、黄金の話ばかり登場する。黄金に憑りつかれた男と言ってもいい!キリスト教布教も精力的な活動は日誌にも書かれているが、黄金発見の熱量は凄まじい。
そしてその熱量のせいなのかコロンブスはことごとく見間違いや・錯覚をしてしまい正確な情報を掴み損ねてしまうのであるw
たとえばエスパニョーラ島を探索したとき、ここにジパングがあるに違いないと確信してしまう。その理由が「ジバオ」という名の土地があり、ここをどうやら「ジパング」と間違えたようなのだ。
こうしたコロンブスの早とちりは多々あり、何重にも盛って報告しているのである。
これは要録したラスカサス神父も的確なツッコミをしている。
おそらく提督は光るものはすべて黄金だと思ったのであろう。
出典:コロンブス航海誌p198
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コロンブスの交渉術
▲コロンブスが作成したと言われる地図
このように航海誌を読み進んでいくと、コロンブスの黄金欲が凄まじいのが分かる。
新しい島を発見しては上陸→探索をしてインディオと親睦をはかり金が採れる場所を聞きまわる、これが彼のルーティーンだった。
しかし、第一回航海でのインディオに対するコロンブスの物腰は、決して残忍なものではなかったのだ。
インディオに出会うと自国から持ってきたお土産を渡して交友を深めた。インディオ達も穏やかな性格なものが多く、船を見て逃げる者もいたが危害を加えないと分かると集まってきたようだ。
そしてそんな彼らにコロンブスは決まってあるものを与えていた。
提督は彼女に衣服を着させ、硝子玉、鈴、ブリキの指輪を与えた上で、いつものように丁寧に陸地へ送り返してやった。
出典:コロンブス航海誌p134
「硝子玉、鈴、ブリキの指輪」のおもてなし3点セットw
コロンブス自身も日誌に綴っているが、これらは本国ではものすごい安価な代物。子どものおもちゃレベル。
しかしインディオ達はお土産の物珍しさに黄金と交換して欲しいと申し出ていたようだ。こうしたインディオとの交流によって、ますますこの島には黄金が眠っていると確信していったのかもしれない。
だが、コロンブスの新大陸の評価は過大なものにすぎず、その後4回まで続く航海において期待した成果を上げることはできなかった。
もちろん金山など見つかるはずもなかったのである(残念)