今回は27巻におけるモントゥトゥユピーの爆発させる怒りではなく、内に溜める怒りを思えたことによる形態変化から、キメラアントの人間的側面、さらには念の本質についても考えていこう思います。
出典:HUNTER×HUNTER27 冨樫儀博 p186
第27巻。キメラアント編もいよいよ終盤へと向かう怒涛の展開。ネテロとメルエムとの直接対決を控える中で、ユピーがナックルたちとの戦いでさらなる成長を遂げることになります。
そして、ここらへんを皮切に、キメラアントたちに顕著な変化が起こってきます。それは、王であるメルエムがネテロと対話による解決を求めた場面からもよくわかります。
出典:HUNTER×HUNTER27 冨樫儀博 p145
メルエムはコムギとの出会いで、そしてユピーはナックルたちとの出会いによって、次第に人間が持っている理性をもちはじめたのかもしれません。
そして、次第にぼくの中でふと浮かぶことがあります。それは、
どっちが善でどっちが悪なのか?
矛盾を含んだ現実。
自分の保身や利権のみを守るためにハンター協会にすべてを一任という形で押し付ける世界は、もはやどちらが理性的な人種かさえ疑ってしまいます。
少年漫画でありながら、こうした漫画というフィクションの中で描かれる、現代社会が抱えている矛盾を描いていると思ってしまうのは、決して飛躍した解釈ではないと思う。
パームのキメラアント化から考える本能と理性
王宮に潜入したパームに待ち受けていたのが、ピトーとプフによる人体実験。そして王に忠誠を誓う忠実な兵士として生まれ変わってしまいます。
しかし、この人体実験においてプフは感情と記憶とのつながりを破壊はするものの、成長速度がはやいという理由から記憶や感情そのものは残したままにします。
出典:HUNTER×HUNTER27 冨樫儀博 p78
そして、このコマから、メルエムやピトーが人間を殺戮するだけの存在ではなくなっていく理由を理解することができます。
パームがキルアと対面したとき、キルアがパームの心に訴えかけたことで、自分を取り戻せたのは、感情と記憶がしっかりと残っていたから。そして、念能力者であったため、生まれ変わっても人間であった頃のの記憶を鮮明に保持することができていたわけです。
出典:HUNTER×HUNTER27 冨樫儀博 p77
キメラアンたちの会話の中には、しばしば人間だった頃の記憶についての会話が登場してきますが、こうした何気ないところにも、今思えばちょっとした伏線になっていたのかもしれません。
キメラアントたちは人間を養分として生まれたわけですから、本能だけで生きる野生的性格だけでなく、人間の理性的な部分も少なからずあるはずです。
さらには、念能力者を優先的に与えられていた王、そして王直属護衛軍は、他のキメラアント以上に人間性を含んでいる可能性が高いといえます。特に、王はその最たるものではないでしょうか。
念とは想いの強さ
パームがキルアとの戦いの中で自分を取り戻していったのは理解できます。人間であった頃につながりがあり、しかもゴンに対して特別な好意を持っていたことから、パームの記憶にはゴンは強く残っているとと考えられるからです。キルアと直面してすぐにゴンの居場所を尋ねたのもこのためだと考えられます。
念は想いの影響を色濃く反映するのは、幻影旅団編でも描かれていましたから、パームにとってゴンへの特別な想いがあったからこそ自分を取り戻せることができなのではいかと思います。
それでは、メルエムやユピーの場合はどうか?
この場合もパームと同じように考えることができます。メルエムはコムギへの愛によって、そしてユピーはナックルたちとの戦いの中で発現した自分でも抑えきれない「怒り」によってでした。
つまりは、何かに対する感情や想いというものが導火線となって成長させていくのです。
そして、この「想いの強さ」というのは念ではしばしば登場することは先ほども話しましたが、こうしてじっくり考えていくと、なぜあのようにメルエムははじめ「戦う」という選択肢を選ばなかったのかという根拠が見えてきませんか?
ホント凄いですよね、この緻密さは・・・。
愛?それとも忠誠心?
メルエムは「愛」という強い想い、そしてユピーは「怒り」という強い想いが人間的な理想を生み出したと考えることができます。しかし、ここで疑問に残るのがプフやピトーはなぜ人間的理性を持ちえなかったのかということです。
おそらくこの2匹は、想いを発現させる対象がいなかったからだと思います。プフの場合、あえて言うならメルエムへの想いでしょうか。しかし、この感情が人間的な愛、つまりメルエムがコムギに対するような好意を伴う愛なのかどうかという点です。
出典:HUNTER×HUNTER28 冨樫儀博 p186-187
根拠を求めるとすれば、28巻でプフとユピーが瀕死のメルエムに自分の身を捧げる場面で「無償の愛」というセリフがありますが、ここから考える限り「愛」とゆうよりも「忠誠心」の意味合いが強い印象をぼくは持ちます。
無償の愛とは母が我が子に注ぐ愛であるわけで、そこには恋愛は存在しません。というのも宗教において親子の恋愛はタブーとされることが多いですから、やはり忠誠心からくる愛という解釈が妥当ではないでしょうか。