2010年に公開された映画「ザ・ウォーカー」。Amazonプライム(2018年7月現在)でも観れるんですが、これが面白い!
観終わった後で「時間のムダだった」とはならない作品です。そしてもう一度観たくなる作品でもあるんです。というのも意味深な描写が多い。
この作品は映像のみで表現してることもあり、観た人がどう感じるか、監督の意図を見つけられるかといった作品ともいえます。
たとえば冒頭、世界戦争が勃発し死の灰が降り注ぐシーンで、一人の兵士の死体が横たわっている。その後イーライが道を歩くシーンに切りかわる。
車を見つけたイーライはドアを開けて中をのぞくと、運転席に白骨化した人間がいる。死体の状態からかなりの年月が経過していることを映像のみで表現しています。
ストーリーが進むにつれイーライが30年以上ウォーカーとして生き延びてきたことが判明しますが、この作品は映像のみで説明している節が強い。
[toc]
ストーリー・あらすじ
大規模な戦争により、文明が崩壊した世界。誰が名づけたかウォーカーと呼ばれるその男は、30年間、世界でたった1冊だけ残る“本"を運び、「西」へと旅を続けている。
本を守るため、行く手を阻む敵は容赦なく殺す。彼の目的地はどこなのか?その本には何が記されているのか?
一方、大勢の盗賊たちを率い、王国に君臨する独裁者カーネギーは、世界を支配するためにどうしても必要なその本を手に入れるため、旅を続けるウォーカーの前に立ちはだかる。
砂塵渦巻く荒野を舞台に、世界を揺るがす一冊の本をめぐる壮絶な死闘が開始された―!旅の先にあるのは、荒れ果てた世界の希望か絶望か!?2人の男の戦いの果てに、驚愕の結末が待ち受ける
出典:内容紹介|Amazon.co.jp
イーライ問題
注意深く観ていくといろんな気づきがあるわけですが、この作品最大の疑問は
主人公イーライは結局盲目だったのか?
という点です。
映像によるヒントは幾度となく登場していますが、最後の最後までイーライが盲目だったのかは説明されていませんでした。
そんなわけで、ぼくなりにこの疑問を探っていきます。ちなみに、この記事は鑑賞済みの方向けのレビューなので初見さんは作品を観てから再訪問をお願いします。
3つの違和感
冒頭の演出
出典:(C)2010 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
まず注目したいのが冒頭。
戦争により文明が崩壊した後の世界を描いているため、画面全体が暗く荒廃とした世界を表現していますが、それにしても冒頭はとくに暗く、まるで白黒映画のようになっています。
この演出にはもう一つ、イーライが盲目であることを暗示しているのではないのか。主人公が見ている世界、白黒の世界=盲目の世界を表現していたのではないかとも取れます。
ちなみにこのあとストーリーが進むにつれて、画面に色がつき始めていきます。この違いも注意して観てください。
聴覚と嗅覚と動作
出典:(C)2010 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
独裁者カーネギーの街に立ち寄ったイーライが、とあるいざこざから銃撃戦になるシーン。
このとき赤ちゃんの泣き声がしたとたん、急に動きが止まる。目の前で銃を構えている敵がいるにもかかわらず。
この描写は、イーライが視覚ではなく聴覚に頼っている演出と言えます。
そこで、この銃撃戦のシーンをもう一度見ていくと、目視→発砲ではなく敵の発砲→自分も発砲になっていることに気が付きます。
聴覚に頼っているからこその動きではないかと指摘できます。このほかにも聴覚やあるいは臭覚に頼るイーライの行動は作品の髄所に描かれていました。
冒頭クローゼットの中で靴を見つけるシーンがありましたが、これなどはその典型でしょう。
クローゼットの扉が壊れる(聴覚)→死体を発見する(嗅覚)→クローゼットで首つり死体に触れる(触感)。
視覚による描写は一切ありません。クローゼットを開けたイーライが驚いたのは目の前の首つり死体ではなく、実は扉が壊れた音に反応していたんだと気づいたとき、この作品スゲーと思った。
顔のアップ
出典:(C)2010 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
アルカトラズ刑務所に辿りついたイーライは、そこで口述筆記によって聖書の文言を書きとめていきましたよね。
あのとき顔へとカメラがよっていき「光があった」というセリフでイーライの目がドアップに映っていました。
これはいろいろな解釈が含まれていますが、その一つとしてイーライが盲目だったことを最後の最後ネタバレしたのではないかとも考察できます。
点字の聖書
ただ注意したいのが点字の聖書だからイーライが盲目だったというのは早計かなと。まずイーライの職業は本屋の店員でした。そのため職業柄点字が読めていた可能性は否定できません。
おそくらイーライは戦争後に視力を失っていった可能性が高いので、元々点字は読める教養はあったと思うんです。聖書が禁書として処分される対象となっていたことから、点字の聖書しか残ってなかったのかもしれません。
もちろん最後のオチから考えれば点字の聖書もイーライの盲目を演出するピースの一つなのでしょうが、決定的証拠とは言い難いかなと。
なぜ修理店を見つけられたのか
今までの考察からイーライは盲目だったと思います。ただ、盲目にしては動きがサクサクしていました。個人的に引っかかったのは街で修理店をどうやって見つけることができたのかという点。
これは、イーライが街へ入ると人の声や生活音が急に大きくなり誇張されていたので、耳を頼りに街の様子を伺っていた演出なのかなと思います。
ただ「映画」ですし、この作品のオチを考えると多少の違和感は許容範囲ですかねwww
ちなみに、修理店のおっちゃんに手を見せるシーンがありましたが、あれは「人間の肉を食うと手が震える」ので、その確認のために見せていました。
イーライ盲目問題まとめ
冒頭でも話したように、この作品は映像によって説明している映画です。アマゾンのレビューでは、「この作品は画(映像)を楽しむ映画です」という感想が投稿されていました。
なるほどね~ととても共感しました。
ラストのオチを考えると、賛否両論な作品なのは確かです。ですが、監督がこの映画に忍ばせたヒントに気付くと評価は一気に違ってくると思うんです。
そんなわけで、今回のテーマだったイーライ盲目問題の解答としては、イーライ盲目じゃね?という結論に至りました。
こんな風にして細かい部分を観ていくと、イーライの行動や演出の理由が分かってきて面白いですよ。プライム会員の方は週末あたりもう一度観てはいかがでしょうか?
映画「ザ・ウォーカー」紹介
公開日 | 2010年 |
タイトル | ザ・ウォーカー(The Book of Eli) |
上映時間 | 118分 |
監督 | ヒューズ兄弟 |
脚本 | ゲイリーウィッタ |