原作・南条範夫、作画・山口貴由による漫画「シグルイ」を一言でどんな作品であるか、時代劇漫画の傑作、否、ギャグ漫画であると声を大にして言いたいッ!
実在する登場人物を使った迫力のある画力は、史実を元に描かれてているのではないかと錯覚するほではあるが、実際はフィクション、実在の個人・団体とは一切関係ない。
作中では徳川忠長の狂気ぶり、はては「駿河内納言秘記」なる書物が根拠として登場するが、これもネタ、民明書房と同じ扱いと言っていい。
当ブログではかつてこんな記事も書いたことがある。
漫画「シグルイ」全巻ネタバレ感想 ラスト三重の自害を考える
南条範夫の小説「駿河城御前試合」をもとに漫画家・山口貴由によって描かれたのが漫画「シグルイ」。漫画雑誌「チャンピオンRED」 ...
シグルイラストについての考察。
ただ、駿河内納言秘記=民明書房、つまり男塾=シグルイではないか。この黄金公式が成立するならば、シグルイとは立派なギャグ漫画でよくないか、いや、いいのだ!
そんなわけでいじります。
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ぬふぅ
出典:シグルイ2 山口貴由 南條範夫 秋田書房
舟木道場兵馬数馬が日々の日課としておこなうぬふぅ行為。シグルイと言えばぬふぅ、ぬふぅと言えばシグルイと言わしめるほど有名なネタ。
ぬふぅがネットで有名になりすぎて、ソース元のほうが知らないという逆転現象が起こっていそうである。この「ぬふぅ」、いまさらながら説明すると、
双子で同時でイくこと
である(白目)。
イくことはイくのだが、兵馬数馬の双子にイかされる相手をするのが女性ではなく男性、いわゆる男娼。英雄色を好むというが。
この双子に関しては、あっちではなくそっちの色を好むのである。相手をする男娼は、その激しさに体に痣が残り、骨を折られた者もいたという。
そして、穴を掘られるときには必ず出血してしまう、そんなグロイ描写もシグルイではばっちり描写されている。そして双子のフィニッシュにはきまって
ぬふぅ
というお決まりの喘ぎ声がこだますのであった・・・
ちなみに、武士が跋扈していた時代における男色は一般的。織田信長も豊臣秀頼も同じ穴のむじな。時代劇で将軍の近くで刀を持っとる青年(小姓)がいるが、穴ほられ役も務めていたそうな。
涎小豆(よだれあずき)
涎小豆とは、シグル第1巻にて登場した虎眼流の入門儀式。ささげ豆を入門志願者の額に置くのである。使用されるささげ豆は甘露煮に加えて、水あめでさらに粘り気を出す。
この粘りがとても大事なのだ。
入門儀式に使われるささげ豆は必ず一人娘の三重により、その粘り気を必ずチェックする。そして、お眼鏡にかなった粘りささけ豆のみが使われるのだ。
出典:シグルイ2 山口貴由 南條範夫 秋田書房
三重に認められたささげ豆
さて、肝心の入門儀式「涎小豆」であるが、入門志願者の額に置かれたささげ豆を、虎眼流創始者である岩本虎眼(こがん)が十文字に切ってみせるというもの。
ちなみに伊良子清玄が涎小豆を試す場面がある。
虎眼の妾であった、いくの乳首にささけ豆ではなく白米を付けて行い、これを見事に成功させるのである。清玄は虎眼流を破門されるのだが、剣術の天才っぷりは虎眼をも凌ぐほどの逸材であったのは間違いない。
しかも、清玄の両の目には光がまだあった頃の涎小豆であった。
いくの乳首
出典:シグルイ3 山口貴由 南條範夫 秋田書房
シグルイは、いくの胸への扱いが酷いことでも有名な漫画。まず、右乳首は、清玄と逢引していたことがバレて虎眼によって引きちぎられている。
その右乳首は、牛股権左衛門によっていくの目の前で食べられてしまう。牛股はどこで乳首を見つけたのか定かではないが不運な最期をとげた右乳首。
左乳房については、清玄を仕置きから守るために自らが犠牲になった。清玄の仕置きにイチモツを焼きごてで焼き切るというおぞましい拷問があった。
この窮地を救ったのがいく。焼きごてを自分の左乳房にあてて、さも清玄のイチモツを焼き切っているように見せかけたのである。
幸いにもいくの左乳首は焼き切れることなく無事であった。そして、右胸は乳房を失ってしまったが、ときたまピュッと血色の母乳が出るシュールなコマが描かれている。
菩薩
出典:シグルイ15 山口貴由 南條範夫 秋田書房
いく関連でもう一つ。
単行本最終巻となる15巻において、いくのことをこのように形容していた。
菩薩
と。
菩薩とはどんな人間あろうとも、祈りさえすれば救ってくれば、なんの見返りも必要ない。あとで魂よこせみないなことは言われないわけで、見返りは業(ごう)そのものだからである。
業がないからこそ菩薩であり、悟ったものの境地なのである。ただ、いくの場合は一般的に言われている「菩薩」とは異なる。
いくのそれは、すべての人間ではなく伊良子清玄ただ一人のための菩薩。どんな無慈悲な言葉を言われても、ぞんざいに扱わようとも広い心で清玄の苦しみを取り除くためだけに生きる女。
それがいくです!
光を失った清玄の手足となる献身的ないくに対して、清玄は情け容赦のなに暴言を吐くシーンなともシグルイでは描かれています。
六十景では「いくさえいなければ」とすべての罪をいくに押し付けるセリフもあります。このセリフを聞いたいくは、そのショックから思わず右胸からピュッと血の母乳。
それでも、清玄の側を決して離れずに、駿河城御前試合において源之助に負けるや、清玄のあとを追うように自らの命を絶つのであった。。。
まさに最後まで清玄の「菩薩」でした。
柔い・・・
たとえば、清玄が失明後に編み出した無明坂流れは、虎眼流奥義「流れ星」と着想は同じとされている。足指に剣先を挟み込んで、力を蓄え全身を使って刀を射出する。
ただ、ここにたどり着くまでに幾度となく試行錯誤があった。
錯誤のきっかけになった一つに牛股との一戦がある。この戦いでは無明坂流れ完成に至る前の戦いであったのだが、この時の清玄の剣術は足指ではなく地面に突き立てて刀を射出していた。
しかし、この時の戦いではコンディションが悪かった。清玄自身ではなく地面のコンディションが悪かったのである。いつものように、大地に剣を突き刺そうとしたときのこと。
思いもよらないトラブルが発生したのである。
出典:シグルイ10 山口貴由 南條範夫 秋田書房
地面が柔らかすぎたのだ!!
行き過ぎた剣術
このほか、シグルイに登場する剣術には突飛すぎてむしろシャグといった技がいくつか登場する。その一つが源之助が繰り出した、紐鏡(ひもかがみ)からの横流れ。
出典:シグルイ8 山口貴由 南條範夫 秋田書房
源之助は対戦相手の清玄には目もくれていない。命と命の奪い合いの場において、まさかナメプをしていたのか。否!まったくもって真剣そのもの。
ならなぜ源之助は、今にも切りかかろうとしている清玄に背を向けているのか。これは次のコマを見ればすべてが瓦解する。
出典:シグルイ8 山口貴由 南條範夫 秋田書房
源之助は確かに見ていたのだッ!
な、なんと、剣に反射する清玄を見ていたのである。なぜ、こんな面倒な方法で見る必要があるのか疑問ではあるが、そこをツッコメななにもかも終わる。
しかし、この紐鏡はれっきとした虎眼流の技の一つ。
今回は清玄戦の秘策として用いたようであれるば、それ以外でも用途があるらしい。虎眼流は奥が深いという話であった(多分)。
亀の産卵
シグルイではほっこりする場面も登場します。
亀の産卵
のお話。
亀は産卵のとき涙を流すと言われています、ですが、この涙実際は海から陸へ上がってきたときの塩分濃度を調整する器官が、目の下にありこれが涙の正体。
亀のこの器官のことを、「塩類腺(えんるいせん)」と呼び、濾された塩水が目の下から流れているのだそうだ。
ナショナルジオグラフィックのような感動シーンがまさかシグルイで見れるとは、動物の神秘、生命の不思議を存分に堪能することができる。
出典:シグルイ7 山口貴由 南條範夫 秋田書房
亀の産卵を見た門下生たちは言葉を失いただただ眺めます。
記憶に残る感動シーン、ですが、このとき清玄だけは違っていました。源十郎の何気ない一言にプライドがズタズタにされ、その腹いせに亀の卵をすべて割るという鬼のような所業に出る。
ちなみに、門下生らは亀の産卵を見に来たわけでなく、水練のために海へとやってきた。虎眼流水練の一つに、鉄鎧を着たまま海に入り、その後鉄鎧を脱ぎ捨て海上に浮上するという訓練がある。
どんな環境でも平常心を保てる精神力を養うための修行。しかし、このとき源十郎は鎧の帯紐が鬼のごとき指の力で絞めつけられ、解けない状況に陥る。
あわや溺れ死ぬところで、仲間に助けられ休止に一生をえるのだが、このとき鬼の如き指の持ち主が誰だったのかは謎。
今もってしても犯人は藪の中。
シグルイは見どころいっぱい
シグルイの見どころシーンのごくごく一部を紹介してきました。ほかにも紹介したいシーンはまだまだあります。
着物のシワが虎眼の顔、毎回誰かの腸が無駄に飛び出てる、忠長は鬼畜、虎眼の阿呆など、それこそキリがない。
とはいえ、ここではとくに心に残っている名シーンについて触れたつもり。虎眼について書きたりなかったのが残念ですが、大体紹介できたつもり。