1987年に出版された『十角館の殺人』。当時ミステリ史上最大の驚愕を読者にもたらしたとされる綾辻作品を今回取り上げていきます。
叙述トリックの代表作とし知られていますが、実際には叙述トリック以外にアリバイ・トリックなどを駆使した二重三重の仕掛けがほどこされています。
さらにはアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』をプロットに舞台はクローズド・サークル、見立て殺人とこれでもかと詰め込まれた作品は解剖するにはうってつけの題材!
注意喚起したところで本題どうぞ!
[toc]
幾重にも絡まったトリック
この作品に使用されているトリックを抜き出していくと、主に2つのトリックを見つけることができます。1つはアリバイ・トリック。
犯人である守須恭一が角島の十角館に同行しなかったように江南たちに思わせていたアリバイ工作。これによって、守須を犯人から自然と除外させた。
さらに、もう一つの叙述トリックによって、読者に対してもミスリードさせます。叙述トリックとは、読者に意図的な思い込みや、解釈を誤らせるワザ。
十角館の殺人では、この二つのトリックを併用することで、作中の登場人物と読者の両方の目を騙していました。
名前の思い込み
まずは、登場人物たちのニックネームから見ていきたい。
登場人物は大学のミステリ研究会のメンバー。この作品では、角島と大分県内の二つの場面を縫うように事件の真相へ迫っていくストーリーでした。
大分県内で事件を追っていったのは住職の島田と、ミステリ研究会のメンバーであった江南孝明、同じくメンバーの守須恭一。
冒頭、江南孝明の人物説明においてこんな文章がありました。
このとき彼は、江南を「かわみなみ」ではなく「こなん」と発音した。
出典:十角館の殺人 綾辻行人
これぞ叙述トリック!「江南」という苗字を文字ってコナン、シャーロックホームズの生みの親であるコナン・ドイルが彼のニックネームであると読者に刷り込ませる。
そして、この当て字法則を、守須恭一にも無意識にあてはめることで、彼のニックネームを怪盗ルパンの作者モーリス・ルブランと錯覚を誘う。
「恥ずかしながら、ドイルです。コナン・ドイル」
「ほほう。大家の名ですな。守須君はじゃあ、モーリス・ルブランあたりですか」
警部は調子に乗って尋ねた。
出典:十角館の殺人 綾辻行人
このとき調子に乗ったのは警部だけでなく読者も同様であったw
クローズド・サークル
『十角館の殺人』はアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』をベースとして描かれているのは周知のとおり。
そのため、連続殺人のトリックや構成に共通点を数多く見つけることができますが、ここではその中でも二つの共通点を掘り下げていきます。
まずはクローズド・サークル。
この作品は、いわるゆクローズド・サークルと呼ばれるもので、外部との連絡が絶たれたシチュエーションが舞台となります。
『そして誰もいなくなった』では兵隊島、『十角館の殺人』では角島という孤島がそれぞれ舞台でしたが、『そして誰もいなくなった』では、途中から嵐も外部と遮断する要因として描かれていました。
一方『十角館の殺人』では犯人のアリバイ工作のため嵐は描かれませんでしたが、後半、一時的な豪雨が描かれてはいました。
一般的に、クローズド・サークルのメリットとして、科学的な捜査が不十分のためトリックの幅も広がり、綿密な構成が組めますが、作者の力量がモロに出る手法とされています。
作中、現代の探偵小説について学生たちのこんな議論がありました。
警察機構、黄金時代の名探偵たちが駆使したような、華麗な理論や推理とは似て非なる、でいてそれを超えてしまった捜査技術の勝利に拍手を送る気には、僕はなれないね。現代を舞台に探偵小説を書こうという作家は、必ずここで一つのディレンマに陥ってしまうことになる。
出典:十角館の殺人 綾辻行人
そこでこのディレンマの、最もてっとりばやい、と云っちゃあ語弊があるか、有効な解消策として、さっきから云っている嵐の山荘パターンがクローズアップされてくるわけさ」
「ナルホド」
ルルウは真顔で頷いた。
出典:十角館の殺人 綾辻行人
ここでいう「嵐の山荘」パターンとはクローズド・サークルのことです。角島という孤島での連続殺人は、作者が嵐の山荘を地で行くミステリ作品、綾辻行人のデビュー作ということで、なかなか度胸があります。
見立て殺人
もう一つの共通点は見立て殺人。
『そして誰もいなくなった』ではマザーグースの童謡「10人のインディアン」が元ネタでした。さらに殺人が起こるたびに陶器の人形もなくなっていった。
一方、『十角館の殺人』では「犯人役」「被害者役」「探偵役」と書かれた7つのプレートにそって連続殺人が行われていきます。
見立て殺人とは、何かに見立てて殺人が行われていくことで、童話であったりプレートであったりさまざま。ちなみに、綾辻行人の『霧越邸殺人事件』の中で、見立て殺人を三つに分類しています。
- 晒し者にするなど死体装飾に意味がある場合
- 見立てる唄や詩自体に意味がある場合
- 見立ては目眩ましで、手がかりなどを隠し別の虚像を与える場合
さらに、この見立て殺人ですが、その生みの親が、あのS・S・ヴァン・ダインと言われているんです、ん~面白いですね~。
ヴァン・ダインが創り出した「見立て殺人」はアガサ・クリスティの作品にとり入れられ、そして綾辻行人の『十角館の殺人』へと繋がっていく、痺れますなw
フェア・アンフェア論争
ここでちょっとミステリ講座。
ヴァン・ダインと言うと「ヴァン・ダインの二十則」を思い出す人は多いと思います。推理小説とはこうあるべきだと、自らの信条を20の項目にまとめたものです。
ここで気になるのがアガサ・クリスティとの「フェア・アンフェア論争」。このとき論争の中心になったのが「叙述トリックは推理小説と言えるのか?」という問題でした。
現代では時代遅れの信条となってしまいましたが、この作品のベースがアガサ・クリスティ、そして犯人のニックネームがヴァン・ダイン・・・
綾辻行人は処女作品にして明らかに狙っていることが分かりますねw
壜と良心
最後に触れたいのは事件真相のきっかけとなったボトル・メッセージ。
アガサ作品では、余命を悟った元判事が自分のエゴのもと事件のトリックを告白するという威圧的で救いようのない阿呆でした。
一方、綾辻作品では冒頭、犯人が神に罪を委ね、ボトルを「良心」と言い換えていた。そして、このレトリックが最後に効果を生むことになる。
子供たちがそろそろ家路につこうとしている。彼は拾った壜を握りしめ、彼らのほうにゆっくりと歩み寄っていった。
「坊や」
1人の男の子を呼び止めた。
「ちょっとお願いがあるんだ」
子供はきょとんとした目で、彼の顔を振り仰いだ。夕凪の海のように静かな微笑を見せながら、彼は子供の手にそれを持たせた。
「あそこにいるおじさんに、これを渡してきてくれないか」了
出典:十角館の殺人 綾辻行人
ボトルを子供に渡して終わるあたり、非常にいやらしい・笑