折原一さんは叙述トリックを得意とするミステリ作家さん。巷では「叙述トリックの名手」なんて呼ばれているとか、いないとか。
そんな前評判を聞いていた私が、今回手にしたのは1989年に東京創元社から出版された「倒錯の死角」であります。
本作は倒錯シリーズ三部作の一つながら、この作品だけで完結しているので、他の作品を知らなくても大丈夫。

全体の構成
倒錯の死角は【第一部】と【第二部】から成り立っています。翻訳家・大沢と、OL真弓の二つの視点を交互に描いていきます。

そして、この主軸(大沢と真弓の視点)の時系列が一年ズレていたというのが、本作で使用されていた叙述トリックでした。
大沢視点の簡易時系列ただし、この軸の周りには枝葉がいくつもあり、真弓の母・ミサ子、コソ泥の曽根(そね)、真弓の愛人・高野といった視点も描かれます。
さらには、大沢視点では、第一部と第二部での精神状態が全く異なります。第一部で酒乱がきっかけで妄想癖を発症していきました。
そのため、第二部以降、大沢の言動のすべてが「虚偽(ウソ)」だったという、読者にとっては微妙なオチでした(やや残念なところ)。

ここまでストーリーは、すべて201号室の隣に住んでいた戸塚健一による作品であったことが判明します。
つまり、小説に登場する人物が執筆した小説を読者は読んでいたという、非常にややこしい構成になっていたことが第二部「予後」で明かされます。
どんだけトリック仕込むんだよ!と思ってしまいますが、これこそ「叙述トリックの名手」と呼ばれる所以なのでしょう。
そして、ラストで真弓(になりきる母・ミサ子)が再び201号室に住むという、大沢にとってはループのような最後を迎えていました。
登場人物の多くが問題を抱えていた
倒錯の死角の登場人物のほとんどが、救えない人生を送ってしました。まともなのは、「らん」のママやミサ子パパくらいか。
少なくとも、今作の主要人物たちのいずれも心に闇を抱えていました。まさか、娘を失ったミサ子本人まで病んでいたとは。
ただ、ミサ子の心の闇を考えると、現実離れした言動の理由にもなってたりして、実に巧妙なトリックだったのではないでしょうか。
誘惑する母親
それにしても、真弓の母・ミサ子の大胆さには驚かされた。娘の部屋に住み、同じ服装・同じ行動を辿っていく。

さらに、犯人と思しき大沢の目を引くための大胆行動。てっきり大沢の妄想だと思っていたけど、ここだけ事実だったとは(爆
一週間前はもっとひどくて、彼女は部屋の中で大胆な水着を着て、胸をそらせたり、屈伸したり、開脚したり、いろいろなポーズをして見せていた。(中略)のぞきをやめようと努力しているのに、あれだけ露骨に挑発されたら、見ざるをえないではないか
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
真弓の日記には「大胆なハイレグ」とあり、ミサ子も年齢に似合わず、ハイレグを着ていたと思うと複雑な気持ちになる。
それだけでなく、熟年夫婦のセックス場面を目撃してしまい、もっと鮮明に見るため双眼鏡を解禁しガン見してしまうのだ。
そうなると、真弓に扮した母親が引っ越してきたときに、201号室の女に似ていることに気付かなかったのは、いささか腑に落ちなかった。
叙述トリックと伏線
叙述トリックの伏線にも触れたい。叙述トリックは基本読者をだまくらかそうとする手法なので、できる限りフェアであってほしいところ。
そこで、今回の叙述トリックを見破る伏線はあったのかどうか、ぼく自身が気づいた箇所を紹介しながら考察していきます。
まずは、ミサ子の化粧。
厚化粧
こうしてアップでのぞくと、彼女は歳より老けて見える。少し化粧が厚めなので、そう見えるのかもしれない。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
大沢が201号室の窓から見えた男女が抱き合う光景に興奮し、禁止していた屋根裏での「のぞき」を解禁してしまいます。

この描写から「彼女は歳より老けて見える」と真弓のなりすまし?と読みとれる箇所があり、大沢が見ている女性は真弓ではなく母親のミサ子であると分かるかもしれない。
一人二役
ほかにもミサ子が一人二役を演じていた描写は登場する。第二部の後半にはなってしまうのだが、大沢視点での描写にこんな場面がある。
彼女はなぜか白いワンピースを着たまま横になっていた。さっき掃除をしていた時の服装とは違うが、どうしたのだろう。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
掃除をかけているのがミサ子で、ベットに横たわっているのは真弓と1人で二役演じているため、このとき服装が違っていたのだ。
真弓の日記
第一部では、真弓回は「真弓の日記」と表記されていて、日記の中でしか真弓が描かれていなかったのも、叙述トリック見破るヒントでした。
ちなみに、ラストで明かされたミサ子が通り魔の犯人だったというオチも、衝撃ながら彼女の異常な行動から納得する部分はあった。
そう考えると、娘になりすますという叙述トリックも「ミサ子であれば」という条件付きなら納得できるかなと思ったしだい。
第二部の大沢の妄想の伏線
第二部での大沢の言動すべてが妄想であり、彼のセリフや言動からは、叙述トリックを見抜くヒントが何一つありませんでした。
なら、大沢の妄想は見抜けたのか言えば、もともと大沢は、現実と妄想との区別ができなくなる毛はありましたよね。
そこで第二部以降で大沢の言動における矛盾(現実と妄想の混同場面)を見ていくと、
地下室には玲子という女がいるのだ
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
玲子を拉致したという大沢ですが、実際には拉致はされていませんでした。さらに、玲子は病院に搬送されたことが高野のセリフにあり、明らかに矛盾していました。
ほかにも、空き巣を稼業にしている曽根が大沢の地下室に入った時の描写に、
ということは、大沢はこれで女の首をかき切ったのか。だが、刃先には血が付着していなかった
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
と妙な状況が描かれています。
大沢の妄想癖を示す比較的分かりやすい伏線だったかなと思います。ただ、この手法が叙述トリックにおいてフェアなのかは微妙なところ。
高野はなぜ真弓の命日に201号室に来たのか
今作を読み進めて高野の言動に「?」(違和感)がありました。そもそも、高野の出番がすこぶる少なかったんですよね。
第一部で真弓の日記にはしばし登場するものの、高野本人が登場するのは第二部から、しかもかなり後半。そのため、彼の心理描写が描ききれていなかったがために、
高野はなぜに201号室に行ったのか
という疑問を持ってしまったんです。
ぼくの意見としては、高野もまた極度の妄想癖(精神が病んでいた)という結論です。今作には、重度の妄想を患う登場人物が多い。
といいますか今作のタイトル「倒錯する死角(アングル)」からして、作者の意図が読み取れます。
本能や感情・徳性の異常により、社会・道徳にそむく行動をすること
という意味です。
それぞれの視点(アングル)でストーリーが進んでいきますが、言及はしてないものの、高野も倒錯した人物の一人なのです。

しいて根拠を挙げるとすれば、高野と大沢の犯行が完全に一致していたことwww
どちらもパンティストッキングをかぶった犯行、201号室でパンティストッキング男同士が鉢合わせという状況まで作りだしています。
つまり高野はある意味で大沢と思考回路が似ているのである!
ぼくは自分自身の黒いストッキングをかぶることにした。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
一応説明しておくと、大沢はストッキングをかぶった高野の姿を目撃する前にストッキングをかぶる決意しています。
高野は自分の手て真弓を殺したにも関わらず、それでも「生きている」と思っていたのは、大沢同様妄想に憑りつかれていたのかなと思う。
自分の妻を殺し、愛人を殺し、普通の精神ではいられない。真弓の死から一周忌に、真弓のヌード写真が送りつけられたら驚くのは当然。
妻は自分の手で死体を山中に埋めたけど、真弓はストッキングで首を絞めてそのまま放置したいた。本当に「生きてるのでは」と思ったのかもしれない。
おわりに
細かい伏線はまだまだあります。大沢が女性を拉致する妄想に取りつかれていた時、祖母と猫とダッチワイフを女性に見立てていたわけですよね。
この伏線にちょっと面白い描写がありました。
厄介者がいなくなって、その後、仕事は順調に進んだ。『人形の死』が今度の翻訳だが、とても気のきいた素晴らしいタイトルだと思っている。ぼくの生活を象徴しているようではないか。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
大沢が女の死体だと思っているダッチワイフを庭に埋めるシーンで、人形の死=ダッチワイフの死やぼくの生活を象徴している、とこじゃれたヒントもありました。
けど一読しただけでは気づきにくい。
作品はサクサク読みやすいですが、第二部から続くラストに納得できるかどうか、納得できない部分はあるかもしれません。
ぼくの場合は再読してようやく、登場人物のほとんどが精神的に病んでいたと解釈することで、トリックに納得できました。
ただ、最後に1つ言わせて欲しい!
いろいろ詰め込み過ぎだわ、この作品。
