出典:砧公園-正門|karitsu
東京世田谷区の砧(きぬた)公園と東名高速の脇にひっそりとたたずむ切り株。かつてここには「第六天の森」と呼ばれる森がここら一帯に点在していたという。
関東大震災以前のことなので、かれこれ100年ほど昔の話になるが、現在の世田谷区岡本には確かに森があり、第六天様をご神体とした第六天神社が佇む鎮守の森があった。
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魔王と呼ばれた「第六天」
日本には自然現象のすべてに信仰、畏怖の対象とする八百万(やおろず)の神信仰が根付いており、これは現代でも受け継がれている。
自然現象に限らず、人間、動物、果ては怨霊や魔王でさえ「ご利益」があるのなら信仰の対象となる、いわば、なんでもアリなのだ。
▲たとえば平将門
千代田区にある平将門の首塚。未練たらたらで斬首された平将門にまつわる数多くのイワクがある一方で、百戦錬磨の武将だったことから、商売繁盛や勝負運アップなどの御利益があるとして、参拝にくる者は多い。
こうした行いは当然、私たちの祖先も同様にご利益があるのなら(救われるのなら)、魔王にさえすがったのである。
第六天もそんな対象の一つであった。
第六天というと「織田信長」を思い出すかもしれない。信長は、自信を第六天魔王と名のっていたという逸話は知られている。
実際にどうだったかは定かではないが、1571年の延暦寺の焼き討ちでは、数千の僧侶、学僧、女子供まで容赦なく皆殺しにした史実は、「魔王」と形容してもおかしくはない。
しかし、そもそもの話、第六天とはもとは魔王を形容するものではなった、時代の流れとでもいおうが信仰する私たち日本人が第六天を魔王に仕立て上げていったのである。
第六天とは、本来は「他自在天(たけじざいてん)」という仏尊である。欲界六天の最高位であり、他人の楽しみを糧にする、つまり快楽を善しとする。
しかし、仏教とは煩悩、つまりあらゆる欲を捨てる教えである、第六天の存在は仏教の考えとは相反するもの。ゆえに、仏でありながら、邪神、魔王の象徴としてすり替わっていった。
たとえば葛飾北斎の「釈迦御一代図会」に悪の権化として巨大な龍が登場する。仏の敵として描かれているこの龍は第六天の姿を現している。
このように第六天=仏敵=魔王、といった構図は、このほかさまざまな書物や文献の中で登場しているのである。
各地に残る第六天神社
しかし平将門のように、怨念であろうと、ご利益があれば祈る。魔王となった第六天もしかり、多くの人々が崇め信仰(とくに江戸期)されたのである。
ご神体として崇められ、社を築き祀る。関東一帯には第六天と名のつく神社が今でも数多く存在しているのもまた事実。
快楽を善しとする第六天は、性の連想からか、縁結び、子宝、縁切りなどの御利益がある神社が多くあり、参拝にくる者は多いという。
第六天の森がある場所
人々に崇められる存在とはいえ、仏に敵対する魔王の一面もあることも忘れてはならない。そのためか、「祟り」があると恐れられている場所も実在する。
第六天の森があった岡本一帯には、区画整理によってかつての森は存在していないが、面影は今なお残っている。それが、砧公園の側道にひっそりと佇んでいる切り株である。
真っ直ぐな道路がつついているのだが、なぜかこの一部分だけ不自然な急カーブを描くように(まるで何かを避けている)ような道路に遭遇する。
地図からでもしっかりと確認できるほどである。
出典:googlemap
砧公園内からでも問題の場所に辿りつくことができる。
砧公園の子供の森から東名高速に向かって続く道を歩いていくと、一本の道路に出る。ここから西に歩くとすぐにイワクのある場所が姿を現す。
出典:googlemap
ガードレールの異質な並び、その中心に見える切り株、この切り株こそが第六天の森のご神木である。そして、この木にまつわる祟りはいくつも残っている。
出典:googlemap
もちろんすべてが実話であり、真実である。ご神木に隠された恐ろしい祟りについて、いくつか紹介していきたい。
ご神木の祟り
江戸時代、ここら一帯の道路拡張計画のため第六天の森を伐採する話が持ち上る。
しかし、工事が始まるや、事故や怪我に合う作業員が多発したため、拡張工事はやむなく取りやめになったというのである。
また、こんな話もある。1964年の東京オリンピックの際に、区画整理のため第六天の森の伐採する計画が持ち上がる。
しかし、第六天様の祟りを恐れた当時の関係者は、現在のように不自然な急カーブを描くような道路に舗装し、今日に至っている。
絶対にやってはいけないこと
出典:岡本八幡神社|ogajud
1964年の区画整理のときも第六天のご神木は伐採されなかったというが、今から数十年前にご神木は伐採されている。
そのとき第六天の祟りがあったのか、伐採した人物がその後どうなったのかは不明であるが、実はここにあった第六天神社のご神体は世田谷の静嘉堂文庫にある岡本八幡神社に移されている。
ご神体(石碑)が移されるときは、二日間かけて還宮祭りをおこない、鐘や太鼓を叩いて賑やかに送られていったという。欲を善しとするだけあり、盛大な祭りをとりおこなったようだ。
これにより、第六天の祟りを鎮めることができたと言わている。しかし、ご神木は切り株とはいえ今現在も残っており、祟りの噂は残っている。
そして、絶対に忘れてはならない噂に
切り株に触ると祟りにあう
というものがある。
触っただけでと思うかもしれないが、かつては、ご神木の枝を払おうとした住民が急死したといった話も残っている。
それだけ第六天様の祟りは強力で、その恐ろしさは今なお完全には消え去ってはいないとうことなのだろうか。
ぐれぐれも興味本位で触らないように
禁足地帯の歩き方 吉田悠軌
「第六天」はなぜ消えたのか 川福秀樹
世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく