叙述トリックを巧みに取り入れたエログロミステリ作品として、人気の高い「殺戮(さつりく)にいたる病」。作者は我孫子 武丸(あびこ たけまる)。
この作品が発表されたのが1992年、バルブ経済に賑わっていた日本が、最後のにぎりっぺを謳歌していた頃が時代背景。
タクシー乗り場の描写などはバブルを象徴していましたが、結論から言ってしまえば、この作品は鮮度が命といった部分が多分にある。
それは
時事ネタありきの作品
とも言えます。
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時事ネタは風化する
名作と呼ばれる作品の多くは「風化」というクロノスさんによってぶった切られます。こと「殺戮にいたる病」はモロです、モロ時間経過によって当時の衝撃度は薄れていきます。
この作品を読むと世代によって読後感は違ってきます。というのも、この作品は80年代終わりに起こった幼児連続殺人事件、「宮崎勤事件」をベースに描かれているから。
この下地を押さえているかいないかで受け取り方がえらい違ってきます。風化するといったのはこのため。あんな衝撃的な事件忘れられるわけないだろ!
と思う方もいるかもしれませんが、人間忘れます。怖いくらい忘れます。どんなに歴史を学んでも戦争がなくならないように。
これを不謹慎といえばそれまでですが、あの衝撃的な事件でさえも時間とともに記憶の片隅の、さらに片隅に置いやられてしまいます。
そのため出版された当時、まさにリアルタイムで読んだ方にとってこの作品の衝撃度はトラウマ級のものだったはずです。
しかし、「今」読むと当然ながらその熱量は当時の比ではないわけです。私にはこの作品が刺さらなかったのはそのためです。
宮崎勤事件
宮崎勤事件、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は1988年から1989年にかけて東京、及び埼玉県で発生した幼女誘拐事件を指します。
捜査にプロファイリングが導入され、マスコミが代々的に報道、また、犯人はマスコミ宛てに反抗声明文を送りつける、被害者宅の玄関前に子どもの遺骨に届けるなど異常な行動をする犯人にさらに世間を騒がせることになった。
犯人は当時実家の印刷会社で手伝いをしていた宮崎勤、26歳。
神社で女児の裸を撮っていたところを父親に取り押さえられ、強制猥褻容疑で現行犯逮捕されたのがきっかけとなり、自分が幼女誘拐事件の犯人であることを自白したという。
この事件はまた、マスコミの過度な報道が問題にもなった事件としても有名で、加害者の父親がこれによって自殺するに至った。
宮崎勤の犯人像は、父親に極度の嫌悪感を抱き、ビデオ収集が趣味で自室に何千本とビデオがあったことが分かっている。
大好きだった祖父の死後に最初の犯行をおこなっていたことから、祖父の死が引き金になったのではないかという見方もある。
警察に捕まった後、警察官の尋問に嘘ばかり付いていたようだ。裁判での言動から精神疾患を患ってる可能性も指摘されたが、最高裁で「死刑」判決が下り2008年6月17日に執行された。
これが東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、通称「宮崎勤事件」のあらましである。
フィクションとノン・フィクション
さて、宮崎勤事件を振り返ったところで今作を考察すると、いかに宮崎勤事件を意識して描かれているのかがより鮮明になってくる。
8ミリビデオテープのセロファンが落ちていたというものがある。これを警察が発表したときには、週刊誌もテレビもしばし扇情的な報道を繰り返したものだ。
いわく『あの悪魔が再び!?』
出典:殺戮にいたる病 我孫子武丸
あの悪魔とは宮崎勤のことを指しているのは言うまでもない。
本作にビデオテープを登場させているのは宮崎勤事件を読者に連想させるためである。このほかにも父親を極度に嫌っている、マスコミの過熱報道、的外れなバカチン専門家なども同じくである。
作者の意図としては、当時未だ色褪せなかった「宮崎勤事件」をベースにしてこの作品を描いたのだろうと推測できますが、同時に旬な時事ネタを取り上げることによって、時間経過とともに風化していったのは先ほど述べた通り。
また、登場する小道具やセリフにもやや古さがあったのも残念。たとえば「オジン」という死語や、岡村孝子という歌手。正直、この方一体誰?と思った。ユーミンが松任谷由実のことだというのは分かったが。
やはり当時の有名人を出すのも作品が古臭くなるのは否めない。
漫画家の岡本倫先生などは自身の作品が風化しないように作中に「携帯電話」は描かないと言っていた記憶がありますが、「当時」の熱量がそのまま同じ熱量で「今」の読者に受け入れられるのは稀有なことだと思う。
殺戮にいたる病の犯人像
とはいえ宮崎勤事件はベースにしてはいても、今作の犯人がすべて宮崎勤像の写し鏡となっているわけではない。
叙述トリックのネタバレをしてしまうと、稔(=連続殺人事件の犯人)は大学に通う二十歳の息子ではなく、実は大学教授の父親だったというのがトリックのオチ。
稔を息子に思わせるために叙述トリックを使ったわけです。
マスコミやワイドショーは犯人像をさまざまに推測・分析していましたが、的を得ているようで結局何も当たっていなかった。恐らく宮崎勤事件のマスコミを風刺していたのではないかと思います。
稔の動機が明らかになるのは、自分の母親を犯すために自宅に戻ろうとしたときの描写にあらわれています。
似ていた。彼女たちはみんな似ていた。俺自身に。かつて「可愛いわね」と言われていた頃の俺自身に。そして、もちろん母さんにも
出典:殺戮にいたる病 我孫子武丸
殺した女性たちはみな幼い頃の自分、つまり稔に似ており、それは母親にも似ていた。結局、稔は母親を愛していたという、母親への愛(マザコン)の歪んだ心が犯行の動機でした。「似ている誰かを愛せるから」という岡村孝子さんの歌詞をもじり稔の心境を投影してもいました。
ストーリーが進んでいくと稔の幼少期のトラウマ、つまり父親を憎むキッカケも描かれていました。それは幼少期母の寝姿を見た時の心象。
母は、神々しいまでに美しかった。稔にはそれを表現する言葉も浮かばず、ただ美しい母を眺めていた。一度外出でもしたのか、きちんと化粧をしており、指の真っ赤なマニキュアが彼の目に焼き付いた。
出典:殺戮にいたる病 我孫子武丸
ちなみにこのマニキュアの心象風景が第一の被害者との出会いで交わしたときのセリフの伏線回収をしています。
心臓がとくとくと激しい鼓動を打ち始めた。昨夜見たばかりの光景が脳裏に浮かび、稔は小さな手を母の方へと伸ばした
出典:殺戮にいたる病 我孫子武丸
幼少期の母への愛、それは母子という関係以上のものを持っていた。一時は母への愛は意識上には上らなかったようですが、意識下(無意識)の中では母への愛はくすぶりつづけていたようです。
幼少期、美しかった母が付けていたマニキュアと似たものを学生が付けていたことが犯行に駆り立てた動機でした。本人にさえ気づかない心の琴線に触れたのでしょうか。
音楽や匂い、色が過去の記憶をフィードバックさせるきっかけになることはよくあります。この音楽を聴くと一瞬で昔に戻れる、あの味を食べると故郷を思い出すといった感覚です。
その手の指には、この大学の学生にしては珍しく、真っ赤なマニキュアをしている。突然、彼の中になにかが湧き起って、すぐに消えた。
出典:殺戮にいたる病 我孫子武丸
一般的な家庭像
80年~90年初期というバブル時代の背景を考えると、父親は休まず仕事ばかり、母親は専業主婦で家のことすべて母親任せというイメージがある。
父親の存在感のなさを叙述トリックのために「あえて読者に印象付けなかった」という見方もできますが、それよりも、作者の意図としては当時の日本の一般的な家庭像というのを取り入れたのではと思う。
母親の言動を読めば明らかに意図的なのが分かりますしね。
家庭より仕事を優先する父親、家庭のことはすべて母親1人で対処する。「父親不在」が当たり前。母親は母親で子供たちに何も言えず、ただただ「私の息子は大丈夫」「息子に限って」と言い聞かせる。
で、これがすごくリアルなの。
ニュースで加害者の友人や知人、家族のインタビューでよく「まさかあの子が」とか「自分お子どもに限って」といった言葉を聞きます。まるで常套句のように、でも、これが現実なのよ。雅子の心理描写を異常とは思えなかった。
もう一つ例を紹介しておきたい。
『「少年A」この子を生んで―父と母悔恨の手記』という手記である。
この本は97年に神戸で発生した「酒鬼薔薇事件」の加害者の親が事件後に出版したものなのだが、ここでは「自分の子どもに限って」「うちの子は普通」といった文言が目に留まる。
本作の底知れぬ怖さ、それはごく普通の平凡な家庭にも稔のような殺人鬼は生まれるという恐怖、決して他人事ではないという不安、宮崎勤事件の直後に出版されたことを考えると、その恐怖は想像に堪えないほどのインパクトを読者に植え付けたはずだ。
90年代の一般家庭像を作品に当てはめることによって叙述トリックにさらに箔がついたわけですが、やはりこれも「90年代の家庭像」という過去形になってしまい風化にはさからえない。
「殺戮にいたる病」まとめ感想
当時の時代背景を下地に読むと名作になるのは分かる、けど、こうした読み方が全員できるわけではない。「これが名作?」とクエスチョンマークが付くのは無理もないことだと思う。
エログロ描写については、過激すぎて先が読めないという読者もいるかもしれませんが、私はなぜか甘美に映った。叙述トリックについては、そこまで完成度は高くないと思いますが、昔と今とでは読者の熱量が明らかに違うのは確かだ。