なんでも折原一さんは叙述トリックによるミステリ作品を得意とする作家さんなんだそうです。巷では「叙述トリックの名手」なんて呼ばれているとか、いないとか。
そんな中で今回手にしてのが、1989年に東京創元社から出版された「倒錯の死角」であります。
倒錯シリーズ三部作の一つと呼ばれているらしく、たしかに作中では「倒錯のロンド」が登場していたので、
もしかすると、読む順番を間違えたのか!?
と思ったけど、この作品だけで完結してるので、倒錯シリーズを知らなくても問題なかった。ただ、もっと折作品を味わいたいならシリーズすべてを読むのがいいんだろうね。
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全体の構成
本作「倒錯の死角」の構成はおおまかに【第一部】及び【第二部】からなっています。フリーランスの翻訳家・大沢と旅行代理店に勤めるOL真弓の二つの視点を交互に描く。
一応この二つの視点が主軸。
そして、この主軸の時系列が一年ズレていたというのが、本作の一番重要な叙述トリックでした。
▲大沢視点の簡単な時系列を作ってみました。
ただし、この軸の周りには枝葉がいくつもありまして、真弓の母・ミサ子、コソ泥の曽根(そね)、真弓の愛人・高野といった視点も織り交ぜながら描かれています。
さらには、主軸の一つ大沢視点では、第一部と第二部での精神状態が全く違ってきます。第一部で酒を飲んだことにより妄想癖を発症、精神疾患とも言うべき症状が出るようになる。
そのため、第二部以降、大沢の証言や行動のすべてが「虚偽(ウソ)」であったという、読者にとってはなんとも微妙なオチが待ち構えていました。
さらに仕掛けはこれだけではない!
今まで書かれてきたストーリーは、すべて201号室の隣に住んでいた戸塚健一による作品であったことが判明します。
つまり、小説に登場する人物が執筆した小説を読者が読んでいたという、非常におもしろい構成になっていたことが第二部「予後」で明らかとなります。
いや、どんだけトリック仕込むんだよ!
と思ってしまうけど、これこそ「叙述トリックの名手」と呼ばれる所以なのでしょう。そして、ラストでは、真弓(になりきっている母・ミサ子)が再び201号室に住むようになるという、大沢にとってはループのようなラストが待ち受けていました。
登場人物の多くが問題を抱えている
倒錯の死角における登場人物のほとんどがまぁ~救えないw
しいて言えば「らん」のママやミサ子パパくらいでしょう。少なくとも今作の主要人物達のいずれも心に闇を抱えていました。
まさか娘を失ったミサ子本人までもが病んでいたとは。
ただ、死んだ娘の部屋に住み、娘になりきるって時点で心が崩壊していたんだろうとは思ったけど、ミサ子の心の闇を考えると、現実離れした言動の理由にもなってたりして、トリック自体はスゴク巧妙に作られてると思った。
誘惑する母親
読み終えて叙述トリックの真相が明らかになったとき思ったのは、真弓の母・ミサ子の大胆さ。娘の部屋に住み、同じ服装同じ行動を辿っていく。
この時点で心は正常ではない。
さらに、犯人と思しき向かいに住んでいる大沢の目を引くために、あえて大胆な行動をしていたとは、、、てっきり大沢の妄想によるものだと思っていたんだけど、ここだけは妄想でもなんでもなく事実だったのは面白すぎた(爆
一週間前はもっとひどくて、彼女は部屋の中で大胆な水着を着て、胸をそらせたり、屈伸したり、開脚したり、いろいろなポーズをして見せていた。(中略)のぞきをやめようと努力しているのに、あれだけ露骨に挑発されたら、見ざるをえないではないか
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
真弓の日記には「大胆なハイレグ」とあったけど、まさかミサ子も年齢に似合わずハイレグを着ていたのだろうか。いや、日記の内容を忠実に辿ってるんだからハイレグ以外考えられないw
さらに熟年夫婦のセックスシーンを目撃し興奮、双眼鏡を解禁してしまう。
大沢は娘に成りきる40代後半のハイレグ水着に興奮していたというのは、なんといっていいのか、お前は今までなにを覗いていたんだ!!と思わなくもない。
というのも、真弓の死体を見るまでは普通に屋根裏部屋でのぞきをしていたわけで、双眼鏡で真弓の顔を鮮明にのぞいたはずである。盗撮までも手を出していたわけだからね。
なのに、真弓に扮した母親が引っ越してきたときに、なぜに201号室の女が真弓に激似していることに気付かないのか不思議だった。
叙述トリックと伏線
叙述トリックと言えば伏線にも触れておきたい。叙述トリックは基本読者をだまくらかそうとする手法なわけだから、できる限り読者にはフェアであってほしいと思うわけです。
そこで、今回の叙述トリックを見破る伏線はあったのかどうか、ぼく自身が気づいた箇所を紹介していきながら考察していきます。
まずは、ミサ子の化粧。
厚化粧
こうしてアップでのぞくと、彼女は歳より老けて見える。少し化粧が厚めなので、そう見えるのかもしれない。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
大沢が201号室の窓から見えた男女が抱き合っている姿、その光景に興奮してしまい、ついに自ら禁止していた屋根裏での「のぞき」を解禁してしまうのである。
そのときの描写が上の引用文。
この描写によれば「彼女は歳より老けて見える」と真弓のなりすまし?と読みとれる箇所があり、大沢が見ている女性は真弓ではなく母親のミサ子であると感のいい方なら、ピンときたかもしれない。
ほかにもミサ子が一人二役を演じていた描写は登場する。第二部の後半にはなってしまうのだが、大沢視点での描写にこんな場面がある。
彼女はなぜか白いワンピースを着たまま横になっていた。さっき掃除をしていた時の服装とは違うが、どうしたのだろう。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
掃除をかけているのがミサ子で、ベットに横たわっているのは真弓と1人で二役演じているため、このとき服装が違っていたのである。ちなみにミサ子は演技ではなく本気で演じていることがのちに判明し、彼女の精神が病んでいたのがわかる。
ラストの通り魔の犯人だったというオチも衝撃ではあったが、彼女の異常な行動から納得する部分はあった。そう考えると、娘になりすますという叙述トリックも「ミサ子であれば」という条件付きなら納得できた。
ちなみに、第一部では真弓の回は「真弓の日記」と表記されており、日記の中でしか真弓が描かれていないのも叙述トリック見破るヒントと言えます。
第二部の大沢の妄想の伏線
第二部での大沢の言動すべてが妄想であり、彼のセリフや描写は叙述トリックを見抜くピースとしては、何一つとして参考にならないという構成になっていました。
では、大沢の第二部での妄想は見抜けたのかどうかを探っていくと、もともと大沢自身は第二部の現実との区別ができなくなるような重度な妄想でなくとも、その毛はありました。
真弓の前の住人がノイローゼで自殺したのも、大沢が関わっていたはずです。大沢が重度の妄想を見るようになったのは、第一部の最後でお酒を飲んでしまってからです。
そこで第二部以降で大沢の言動における矛盾を見ていくと、
地下室には玲子という女がいるのだ。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
玲子という女性を拉致したという大沢だが、玲子は通り魔に遭遇しただけで拉致はされていない。また、この少し前のページには玲子が病院に搬送されたことが高野のセリフにあることから明らかに矛盾していた。
ほかにも、空き巣を稼業にしている曽根が大沢の地下室に入った時の描写に、
ということは、大沢はこれで女の首をかき切ったのか。だが、刃先には血が付着していなかった。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
と妙な状況が描かれていました。
大沢の妄想癖については比較的分かりやすい伏線ではなかったかなと思います。ただ、この手法がミステリ小説においてフェアなのかどうかは知らない。
高野はなぜ真弓の命日に201号室に来たのか
今作を読み進めて高野の言動に「?」(違和感)を持った人は多かった気がします。そもそも、高野の出番がすこぶる少なかったことに気が付きましたでしょうか。
第一部では真弓の日記にはしばしば登場しますが、高野本人が登場するのは第二部から、しかもかなり後半からでした。そのため、彼の心理描写が描ききれていなかったがために、
高野はなぜに201号室に行ったのか
という疑問が浮かんだのではないかなと思います。
ぼくの意見としては、高野もまた極度の妄想癖(精神が病んでいた)という結論です。そもそも今作には重度の妄想を患っている登場人物が多い。
といいますか今作のタイトル「倒錯する死角(アングル)」からして、作者の意図が読み取れますよね。倒錯とは物の本によりますと、
本能や感情・徳性の異常により、社会・道徳にそむく行動をすること
という意味です。
それぞれの視点(アングル)でストーリーが進んでいくのも、タイトルに連動しているのが分かります。つまり、言及はしてないものの、高野も倒錯した人物の一人と解釈してもいいのではと思ってます(そもそも人殺してるんですけどね)。
しいて根拠を挙げるとすれば、高野と大沢の犯行が完全に一致していたことwww
どちらもパンティストッキングをかぶった犯行、しかも201号室でパンティストッキング男同士が鉢合わせという状況まで作りだしてしまう。
つまり高野はある意味で大沢と思考回路が似ているのである!
ぼくは自分自身の黒いストッキングをかぶることにした。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
一応説明しておくと、大沢はストッキングをかぶった高野の姿を目撃する前にストッキングをかぶる決意していたwので、高野の姿に感化されたとかでは決してないのである。
とまぁ~本気半分、ネタ半分の考察でしたが、高野は自分の手て真弓を殺したにも関わらず、それでも「生きている」と思っていたのは、やっぱり大沢同様妄想に憑りつかれていたのかなと思う。
自分の妻を殺し、そして愛人を殺し、普通の精神のはずはどう考えたってないわけで、真弓の死から一周忌になろうとしている時期に、自宅に真弓のヌード写真が送りつけられれば気になるのは当然。
あともう一つ、妻の場合は自分の手で死体を山中に埋めたけど、真弓の場合はストッキングで首を絞めてそのまま放置したから、もしかすると「生きてるのでは」と思ったのかもしれない。
結局、妄想に取りつかれていたということです。
おわりに
ここまでザーッと倒錯の角度について考察してきましたが、細かい点を挙げればまだまだあります。たとえば、大沢が女性を拉致する妄想に取りつかれていた時、祖母と猫とダッチワイフを女性に見立てていたわけですよね。
この伏線にちょっと面白い描写がありました。
厄介者がいなくなって、その後、仕事は順調に進んだ。『人形の死』が今度の翻訳だが、とても気のきいた素晴らしいタイトルだと思っている。ぼくの生活を象徴しているようではないか。
出典:倒錯の死角 折原一 東京創元社
この描写は、大沢が女の死体だと思っているダッチワイフを庭に埋めるシーンなんですが、人形の死=ダッチワイフの死やぼくの生活を象徴している、とこじゃれたヒントもありました。
けど一読しただけでは気づきにくい。
作品はサクサク読みやすいですが、第二部から続くラストに納得できるかどうか、とくにミステリ小説好きな方には納得できない部分はあったのではと思います。
ぼくも一読したときは納得できないことが正直多かった、けれども、再読してようやく、ミサ子も高野も言及はしていないものの、大沢同様精神が病んでいたんだなと思うとトリックに納得できた。
ただ、最後に1つ言わせて欲しい!
いろいろ詰め込み過ぎだわ、この作品。
幾重にも張り巡らされたトリックに、ぼくの頭では一読しただけでは理解しきれなかった。